1974.8.19 ---17歳・夏物語--- 塩狩峠

北海道
1974.8.19 ---17歳・夏物語--- 塩狩峠
旭川行き322ㇾC5530牽引。
塩狩り峠は塩狩駅(標高263m)を頂上として、和寒側が標準勾配20‰、蘭留側の標準勾配18.5‰でした。蒸機撮影の名所でした。

この頃、旭川機関区のパシフックの運用は、C5530・50・C5787の共通運用でした。
運用を良く調べないと、せっかくC55目的で宗谷本線にきて、C5787が来てガックリするはめになるのでした。

ご存知、塩狩峠はC55特有のスポーク動輪の分かり易いサイドがちの撮影ポイントは少ないのです。

四度目の渡道で旅慣れてはいるものの、やはり夜行と駅寝(寝袋持参)の連続で体力はかなり消耗しています。
塩狩峠を訪れたのが、東京を出発して7日目なので、まだまだ元気いっぱいです!!

今回の北海道旅行は17泊18日でした。毎度のことながら空腹と睡魔との戦いです。
勿論あちきの相棒は、毎度おなじみの山本シェフです。
今回の旅行では、今まであまり訪れなかった支線の9600を狙うつもりでいます。

それでも8月の北海道は、暑くなく東京よりはしのぎやすく感じます。

Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― “エピローグと後日談”

Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ―“エピローグと後日談”
1972年8月22日(火)~28日(月)6泊7日。

急行「八甲田」の寝台に1泊、急行「大雪6号」のハザに2泊、急行「利尻」のハザに2泊、青函連絡船の
ハザに1泊した勘定になる。

撮影内容は9600・C12・C11・C55・C57・C58・C62・D51・D52・D61と10形式全て撮影でき、とりわけ
C55・C62・D52・D61は初めて見る形式だった。

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上野駅の、あのわくわく感を一度味わったら、もう病みつきになってしまいます。

今まで一人で出かけた最長距離が米坂線9600撮影であった。今回が自己記録を大幅に更新したのだ。今回の
撮影旅行は、撮り鉄よりも、間違いなく乗り鉄であった。見るもの聞くものがすべて珍しく新鮮な7日間だった。

こうして僕の15歳の夏の小さな大冒険は終わった。もちろん反省点も多い。しかし楽しかった。この旅で自信をつ
けたのか、7か月後に僕は再び津軽海峡を渡ることになる。

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奈落の底への扉を開けるきっかけとなった―初めての北海道一人旅―。それからの僕は学力が低下する
一方で、人生の予定コースを歩むことは決してなかった。

この時こそ人生のポイントを間違えて切り替えてしまったのかもしれない(こうして駄文を入力している今では、
鉄道趣味に邁進できたことは、もしかしたら僕の人生にとって宝だったのかもしれない)。

昨年の12月に弊ブログで書いた、Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ―“1975年冬・夕張線
6788ㇾ回想録”
12月25日に追分で一緒に記念写真を撮った仲間たちは今頃何をしているのだろうか?
今でも蒸機を撮影しているのだろうか…。

少しだけ変化があった、後輩のH君は体を壊し不治の病で57歳の若さで帰らぬ人となった。あの日あの時“蒸機”
を通じて友達になり青春の喜怒哀楽を共有した親友だった・・・。

あの時のH君の豪快な笑顔が忘れられない。大人になると生活環境や趣味嗜好の違いで友人環境も変わって
くる。お互いを思いやる気持ちが失われたときに友人関係も終焉を迎えることになる。

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70年代の東北本線のEF57。あの頃はよかったなぁ~。
見て来た風景。出会った人々。表現で来た写真。見逃してきた写真。だから写真人生は面白いのだ。

世の中は広い。中学生が単独で真冬に東京から急行「ニセコ」を撮影に行ったお話のブログもあり今更
ながらにあと一年早く渡道していればと思う。
現実は厳しい、これが僕の限界だったのだ・・・。


Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― 第7日目 “嗚呼上野駅”

1972年8月28日(月)晴れ
Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― 第7日目 “嗚呼上野駅”

函館0:15→12便「十和田丸」→青森4:05、青森6:50→504D急行「しらゆき号」→新潟14:15、新潟16:50→
710M急行「佐渡5号」→上野21:21、上野22:10 →山手・中央・青梅線→拝島0:11(終電の一本前)

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ガキ鉄は車窓から顔を出してパチリ感覚が嬉しいのだ!!
D51+12系・臨急は、まるで現代の上越線の如くなのだ!!

函館にて、東京に帰るのに何の列車に乗るか考えた結果、羽越本線経由で日本海を見ながら帰宅すること
にした。秋田で奮発してトンカツ弁当300円を買った。急行「しらゆき号」はガラガラだった。キハ58の窓を開
けて車窓を楽しむ。羽越本線は電化工事中のさなかだった。すれ違う蒸機たちC57・D51を残りのフイルムで
一生懸命撮影する。楽しい時間が潮風香る車窓と共に流れていくのだ…。

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時間はあるのに、なぜ途中下車しなかったのか今でもわからない。
たぶんこのまま乗り続ければ、お家に帰れる感が強かったのだと思う!!


新潟から急行「佐渡5号」の座席も確保できた、新潟でなけなしの金をはたいて、すきやき弁当250円を買う。
これで泣いても笑っても所持金0円になってしまった。

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上野駅で急行「佐渡5号」を降りると、グレー色の制服を着たがっちりとした大人に声をかけられた「チョット
君!!どこから来たの?」僕は答えた「北海道から」この返答がいけなかったのだ。そのまま上野駅鉄道
公安室に連行されて、事情聴取が始まった。

汚いザックを背負った汚いヨレヨレの僕の姿が、汚くて臭かったのだろう。最後に銭湯に行ったのが二日前
の稚内だった。

完全に家出少年一人保護の様相だ。住所氏名年齢を聞かれ、次に所持品検査と続く。
結果的に公安官が僕の自宅に電話をかけて確認が終わり一件落着、無事解放となった。

                                       ―完―

Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― 第6日目 “憧れのC62重連”

1972年8月27日(日)晴れ
Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― 第6日目 “憧れのC62重連”

札幌6:57→524D→朝里7:31、朝里9:16→822ㇾ→小樽9:28、小樽駅前9:45→北海道中央バス→
手宮車庫10:00、手宮車庫12:00→北海道中央バス→小樽駅前12:15、小樽12:24→41ㇾ→札幌
13:09、札幌15:40→208D急行「すずらん5号」→函館21:05、

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急行「ニセコ」ではないが、誰もいない朝里海岸でC62重連を写す。
C62重連を撮ったには、撮ったが思いは複雑だった。

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朝日に輝くC62重連。

銭湯で入浴したせいか急行「利尻」では札幌までぐっすりと眠れた。だいぶ夜行列車に慣れてきたようだ。
小樽発8:00の岩見沢行き9131ㇾC622+C623のゴールデンコンビを海岸線で撮影すべく朝里へと向かう。
朝日が輝く朝里海岸でC62重連を迎え撃つことにした。

雑貨屋で買ったロバパン60円は、いつ仕入れたものかわからないがやけに固い。
それをかじりながら潮風に当たり待機した。

C622は梅小路蒸気機関車館入りが決まっているので、重連を組むのもこのイベントが最後の仕業とな
るだろう。初めて見るC62重連は圧倒的迫力で迫って来た。

C62重連を上目名や銀山で撮りたかったなァ・・・。
何はともあれ遥々北海道までやって来たかいがあったのだ。

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スノウプウが上下する仕組みのC12を初めて見たのだ。

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石炭埠頭で石炭を下すC12。今更ながらもう少し別アングルの撮影チャンスがあったはずなのだが・・・。

折り返しの9132ㇾまで時間があるので、小樽からバスに乗って手宮線を撮影に行く。手宮で石炭桟橋の入れ
替えのC12を撮影する。

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札幌駅での、C622の展示。

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9633も来ていたのだ。

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小樽に戻り札幌へ、9132ㇾC62重連は札幌入線の撮影でごまかした。その後札幌駅でC622の車両展示の
イベントがありそれを見てから東京へと帰路についたのだった。

Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― 第5日目 “C5550に添乗”

1972年8月26日(土)晴れ
Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ― 第5日目 “C5550に添乗”

 南稚内10:14→340D→抜海10:34、抜海13:38→344D→豊富14:30、豊富17:34→321ㇾC5550
→稚内18:57、稚内20:50→急行「利尻」→札幌5:46、

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C5547牽引の回323ㇾ。欲張ってこれも撮りたかった。

急行「利尻」で夜中に目が覚めたら音威子府だった。牽引機を確認するとDD51748。南稚内で下車、朝日が眩しい。

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回送列車や南稚内機関区で時間を潰しすぎたのか、撮影地は稚内市街地からあまり離れていない。
それでも何とかスポーク動輪のわかるポジションで撮影できた。

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後追いは、何とか北海道ぽいでしょうか?

今日も快晴だ。手始めに稚内行き回323ㇾC5547を撮影し南稚内機関区を覗き、抜海方面へとぼとぼと
歩き始めた。熊笹に足を取られながらも本命の324ㇾC5547を撮影。

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抜海では食料調達できず。ああ、腹減った。海沿いの集落まで歩く根性がありません。

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サロベツ原野を行く9600。右奥に利尻富士が霞んで見える。

3本の貨物列車を撮るべく抜海に移動。撮影の待ち時間を利用してラジカセを大音量で聞く。山本リンダの
「どうにもとまらない」が意味もなくせつなく原野に流れた。
豊富で遅い昼食をとる。駅で日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道の時刻を聞いたらあっさり国鉄ではわからない
とあしらわれた。食堂でカレーライス170円とバナナかき氷70円を食べていると汽笛が聞こえてきた。慌てて
豊富駅に行くと蒸機列車が止まっていた、手前の貨車が邪魔で全体はよくわからないがナンバーが9643と
読める。間違いない日曹炭鉱の罐だ。残念ながら9643は写真を撮る前に発車してしまった。

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せっかく添乗できても、まともな画像がない。
ガキ鉄が舞い上がってしまいそれどころではない。せめて乗務員たちと記撮したかったのに・・・。


気を取り直して豊富発17:34の稚内行き321ㇾC5550に乗ることにする。この時の旭川機関区にはC55・30・47
・50の3輌が配置されていた。その後にC5547が廃止されC5787の登場となる。豊富でC5550を撮影していると
「乗っていかない?」と機関士から声をかけてくれた。これはまたとないチャンスだ。お言葉に甘え、キャブに
乗り込んだ。暑くて前方視界が悪い上、よく揺れる。豊富、芦川、兜沼と僅か2区間の添乗だったが乗務員の
苦労が少しわかったような気がした。

スハフ32に戻り、二重窓の狭窓を4枚とも開け放ち西日をいっぱい浴びながら極北の稚内を目指した。
前方には先ほど添乗したC5550が見え隠れする。

抜海を過ぎ、しばらく行くと左手に日本海が大きく車窓に広がった。乗客に夕焼けに浮かぶ利尻富士を見せる
ために321ㇾは徐行した。終着の稚内には18:57着。機関士と機関助士に添乗のお礼を言ってから改札を出た。
稚内で学生ラーメン180円とライス60円を食べる。ついでに銭湯で垢を洗い流す。

プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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