1990.12 中華人民共和国 「暁の汽車」 -35℃以下、ニコンF3完全凍結!!

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1990.12 中華人民共和国 「暁の汽車」 -35℃以下、ニコンF3完全凍結!!

難行苦行とも思える厳冬の中国蒸機撮影行。
行ってみて現地でこの目で確かめないことには、どんな撮影地か判らない。
撮影ガイド本が日本に無かったのだ。

厳冬の中国の客車の窓は凍り付き景色も良く見えないので撮影地が探せない。
駅名に、嶺・盆・勾のどれかの文字が付けば峠が近くにある。
デフェンスマップに目を凝らし分水嶺を探す。そんな作業の繰り返しに終始する。
勿論、初めての撮影地には大当たりもあれば、大外れもありギャンブル的要素が強い。

幸いにもこの日は大当たりを手中に収めたようだ。快晴無風の天候にも恵まれた。
車を降りてから線路伝いに歩き始める、とにかく放射冷却で寒い。
手元の温度計を見ると、メモリは-35℃以下で計測不能。凍傷だけは避けなくてはならない。
途中に26.5‰の勾配表があった。予想した通りのなかなかの急峻な峠路だ。

背負子にはペンタックス67、2台のセット、ニコンF3のセットに食料と酒が括り付けられている。
この荒行では心身共に強化され、正に厳冬の地獄の強制労働だ。危険手当も付くかもしれない・・・。

耳を澄ますと、遠くから近づいてくる複数のブラストが聞こえてくる!!重連か??
慌てて線路端で撮影の準備をするが、ニコンF3のセットだけで精一杯だった。
暁の空を猛白煙で覆いながら建設型が咆哮する!!
夢中でシャッターを切るが、2カット撮影したらニコンF3が完全凍結して作動しなくなった!!
しばらくして後補機の建設型が更に爆煙で近づいてきたが、見送るだけだった・・・。

お粗末様でした。トホホ・・・。

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蒸機の楽園を求めて・・・。再び旅立つのだろうか?

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80年代の中国蒸機は、満鉄の系譜の罐たちがゴロゴロしていたのです。
あれから三十余年・・・。蒸機の楽園を求めて・・・。再び旅立つのだろうか?

21世紀の現在、あちきが探し求めていた、世界の現役蒸気機関車はほとんど活躍の場を失ってしまった・・・。
しかし、動態保存の蒸気機関車は欧米諸国を中心に観光用に数多く活躍しています。
再び、蒸機の楽園を求めて旅をしたいものです・・・。

1988.1.2  中華人民共和国・吉林省・吉林にて

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1988.1.2  中華人民共和国・吉林省・吉林にて

吉林・東館賓館で撮影された29年前の記念写真が出てきた。
ここに写っている6人中、4人はニューズトラベルの参加者で、1人はあちき(単独旅行)、
髭の1人は現地で会って意気投合して何日か一緒に撮影した、若き日の山下さん
(単独旅行・現、国鉄時代編集長)。

当時は外国人の泊まれるホテルが制限されていたので、日本人が泊まっていると挨拶がてら
顔を出していた。当時は中国蒸機を追いかけている人も少なかったので、ほとんどが顔見知り
なのだ。一緒に酒を飲んだり、情報交換したりと楽しかったな。

今でも年に何度か、山下さんや榊原さんと呑むことがあるから縁は大切にしなければならない。

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1988.1.2  中華人民共和国・吉林省・吉林にて

吉林に撮影に来るマニアの目的は、この機関車“勝利型”(パシロ)に他ならない。
この機関車は満鉄の流れをくむパシフック2C1だ。あっという間に“前進型”に変わっちまった。


1995.1.3 中華人民共和国 “承徳鉄鋼公司専用鉄道” まさかのV氏&G氏と遭遇!!

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1995.1.3 中華人民共和国 “承徳鉄鋼公司専用鉄道” まさかのV氏&G氏と遭遇!!
上游・建設型の三台運転で有名な承徳嶺です。
30‰の上り勾配があるため、わずか10数輌の石炭を承徳鉄鋼公司に運ぶために三台の蒸機が必要でした。
DL化終了後の現在は、この非効率な専用鉄道は廃止され緩勾配の新線に切り替わりました。
北京市の煤煙の公害問題は、この承徳鉄鋼公司が元凶となっています。

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この記念写真は“ツアーの団体記念写真”ではありません。
“承徳鉄鋼公司専用鉄道”を俯瞰する撮影地にて。

車を降りてからどれだけ歩いたでしょうか?
初めての撮影地なので道がわかりませんでした。
大まかな地図を見ながら一人で獣道を進み、それらしい稜線を歩いて行くと突然展望が開けました。
そこには俯瞰大好き鉄ちゃん好みの撮影地が展開されていました。

そして先客の鉄ちゃんたちが・・・。外人が4名と日本人が4名。僕を入れて総勢9名になりました。
とりあえず挨拶に顔を出しました。
3名の日本人は驚くことに友人でした。H氏・K氏・DT200A氏もビックリです。

厳冬の中国蒸機を撮影に来る外人鉄ちゃんは、それなりの覚悟できているはずです。
カメラ装備から見ても有名人に違いありません。通訳も同行していないことから中国慣れしているようです。

そして2名は、外国の鉄道趣味誌でどことなく見たことがある御仁でしたので声をかけてみました。

驚きました。Victor Hand 氏(米国在住) と Greg Triplett 氏(豪州在住)でした。
蒸機趣味の世界は広いようで狭いと感じた瞬間でした。

Greg Triplett 氏は親日家としても有名で、彼が若い頃には「C62重連・急行ニセコ」や「布原D51三重連」
などを撮影に何回も訪日しています。

Greg Triplett 氏とのお話は、長くなりますのでまたの機会にします。

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Victor Hand 氏 は SPEED GRAPHIC (米国製・4×5 in カメラ )を二台も操ります。
 
4×5 in を三脚に一台固定し、サブカメラも4×5 inです。
こんな妥協を許さない鉄ちゃんは、世界でVictor Hand 氏ただ一人でしょう!!

そういえば、僕の蒸機撮影の心の師匠である「あまらぼ鍋屋町」氏も4×5 in を操ります。
正に“ワールドクラスの鉄ちゃん”です。

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Victor Hand 氏 「五大陸蒸機写真集」(2013)

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Victor Hand 氏 (2014)

Hand was a pioneer in the search for foreign steam, which survived much longer in
China, Africa, South America, Asia, and the Soviet Union and its eastern European
satellites than in the U.S., Canada, and Mexico.

1990.1 中華人民共和国 包蘭線・中衛 “トンゴリ砂漠に降る雪” 

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朝ホテルで目が覚めると、雪が降っていた。
トンゴリ砂漠で雪と蒸機が撮れる。早朝まだ暗いなかホテルを出発する。
今朝もよく冷える。気温-23℃、快晴無風。最高の条件が揃った。

前進型重連の不規則な空転が遥か彼方から聞こえてきた。
ゆっくりと近づいてくるブラスト音に興奮を覚える。

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“フイルムの時代”
宿では撮影したフイルムの管理に余念がない。
中国料理と酒が、はあまり口に合わないので日本から、食品や酒も持ち込んでいる。
移動が比較的少ない滞在型撮影なので支障はない。

1989年12月27日から1990年1月7日まで11泊12日でシルクロードに蒸機を撮影に来た。
一番の問題は会社の有休取得だった。
当時の僕は24時間働けますか?の多忙なリゲイン・サラリーマンだったのだ。

会社には、いろいろと借りを作ってしまったことは今となっては懐かしい。
当時の僕の、座右の銘は「行けるうちは行け!なにがなんでも行け!」必ず行けなくなる時(未来)が来る。

撮影地は「包蘭線・中衛」と「蘭新線・烏鞘嶺」だけに絞った。
未開放地区も含まれている為、シルクロードではイギリス人・スイス人の鉄ちゃんとは遭遇したが、
日本人の鉄ちゃんと出会うことはなかった。

今回の撮影旅行の成果は、蒸機列車を約120列車を撮影したことだ。
(ほとんどがQJ型重連。QJ三重連もあり。JFの列車もあり。)

撮影したフイルムの本数は、35㎜が、RDP38本・PKR37本・PKL6本。
                ブローニーが、RDP48本・TMY10本。 合計109本。驚きの数値だ。
プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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