The summer holidays have started !!

インド
The summer holidays have started !!

なんだか皆さん、それぞれの夏休みを楽しんでいらっしゃるようです・・・。
インドネシア蒸機の話題も聞こえてきました。
あたしも、撮影・執筆・創作活動に集中したいのでしばらくブログはお休みにします。
一休み・一休みてなもんです(一休さんの名言)。

ちなみに、いくつかは予約更新で入力してみました。

8月の下旬の予告
―私的・44年前の今日へ―を、ちょいと書いてみようと思います。
お暇でしたら、遊びに来てください。
Episode 1 ―初めての北海道一人旅・44年前の今日へ―“1972年夏・北海道蒸機撮影見聞録”
お楽しみに・・・。

1992.12 “Darjeelig”への招待

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1992.12 “Darjeelig”への招待
1992.12.26から11泊12日でインド蒸機を撮影に出かけています。24年前のお話です。
超有名な“バタシアループ”で地元の子供たちを集めて撮影しました。
ここは現在では公園になっています。

世界遺産鉄道のダージリンの蒸機は今でも現役で毎日動いています。
但し本数や区間は日によって異なります。勿論チャーター運転も可能です。
動態保存蒸機は10台近く確認されています。

観光地化されたとはいえ、現役蒸機が活躍する素晴らしい路線です。
僕の友人で獣医のS氏は、ダージリンフリークで、かの地を10回以上訪れています。
羨ましい限りです。獣医のS氏は、僕のダージリンの師匠です!!

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1992.12 “Darjeelig”への招待
ダージリンを取材した書籍は数多く発行されています。
宗主国であったイギリスの代表作は“ザ アイアン シェルパ”でしょう。
日本では、けむりプロの“鉄道讃歌”や“ダージリン&マテラン”が有名です。
小林隆則氏の“鉄道青年”では“インドの登山鉄道”として紹介されています。

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1992.12 “Darjeelig”への招待
僕もRM123号に“2ftの聖地は今・・・”でダージリンをガイド的に紹介しています。
RM123号を所有しているそこのあなた、再読してくださいマセ!!

僕も必ずやダージリンを再訪したいと考えています。
しかし、いつになりますことやら・・・。

1994.4 究極の聖地・2ft蒸機軌道 “楽園・LEDO”

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1994.4 究極の聖地・2ft蒸機軌道 “楽園・LEDO”

本日よりGW突入です。
あたしには、今年のGWはご縁が無いのです。
どこに行っても“満員御礼・札止め”状態なのです。そんなわけで近場でまったりと過ごします。

僕のサラリーマン時代のGWは海外の現役蒸機を必死で追い掛けていました。
LEDOレンガ工場専用軌道訪問記です。94年GWのインド・アッサム州のお話です。

当時のアッサム州は、治安が大変悪く外国人入境禁止エリアでした。
アッサム解放戦線の暴れているエリアで大変危険でした。
アッサムは紅茶の産地として有名でした。
日本人でこの地を訪れるのは入境許可を取得した商社マンと
遺骨収集団(インパール作戦戦没者)の方だけでした。

ところがアッサム州には、魅力的な2ftの蒸機が走る、レンガ工場専用軌道と炭鉱専用軌道が存在したのです。おまけですがインド国鉄のメーターゲージの蒸機もゴロゴロいます。なにがなんでも行きたいのです。
入境許可証がひょんなことから手に入り単身空路でアッサム州潜入に成功しました。

出会いは突然やってきました。
工場入口の2ftのヘロヘロの錆びたか細い軌道に目をやると
軌道上には太い丸太が踏切の様に降りていました。
なんで軌道上にこんなに太い丸太が置いてあるのだろう?もしかして行の運転は終わってしまったのか?
最悪既に廃線になってしまったのか・・・。頭は混乱するばかりでした。あまりにも情報が乏しいのです。

呆然と立ち尽くしていると、工場から誰かが走り出てきました。例の丸太の踏切を外し始めました。
しめた!!何かが来ます。耳を澄ますと甲高い汽笛が聞こえてきました。
やけに小さなボロボロの罐が小さな車体を左右に揺さぶりながらやってきました。
夢にまで見たバグナルの登場です!!

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見てください。この小さな2ftの満身創痍のボロボロの罐を!!
こんな罐で一日中、好き勝手に撮影しキャブに乗って遊べるのですから・・・。
正に“2ftの楽園”でした。蒸機趣味ここに極まれりです。

この記事はRM・№131に“地上最後の聖地・愛しのデイビット”として9ページ掲載しています。
おひまでしたら探して駄文を見てくださいマセ。

1989.9 インド・Dabhoi  “けむりプロに憧れて”

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1989.9 インド・Dabhoi  “けむりプロに憧れて”

1971年“鉄道ファン”誌に“けむりプロ”によって連載された“インドの汽車”は子供ながらに衝撃的でした。
日本国内ではC62重連の急行「ニセコ」が走っていた時代です。
但し当時はインドの汽車は僕にとって魅力的ではありませんでした。

1984年に初めて中国・蒸機を撮影に行きました。
冬の中国は、まるで北海道を連想しました。冬の蒸機の鉄道情景に酔いしれました。
インド蒸機は中国蒸機と違い雪も煙もありません。しかし、灼熱のインドこそ鉄道情景の宝庫でした。

僕にとって海外蒸機撮影9回目はインドを選びました。1989年の9月の事でした。
確かに旅は厳しいものがありました。原則的に鉄道は撮影禁止!!
何処に蒸機がいるか?情報がありませんでした。とにかく行ってみないとわからない状態です。
鉄道趣味にとって当たり前の調べる探す!!楽しみを多く味わうことが出来ました!!
そして7ヶ月後の1990年4月には再びインドへと向かいます。つまりインド蒸機病に感染してしまったのです・・・。

1992.12 インド “世界遺産鉄道” ダージリン

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1992.12 インド “世界遺産鉄道” ダージリン
カルシャンの朝は感動的でした。
街中の生活感溢れる併用軌道を、ナローの蒸機が汽笛を鳴らしながら人々をかき分けて行きます。
今までこんなシーンを見たことがありませんでした。

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1971年に『けむりプロ』によって制作された『鉄道讃歌』の組写真にインスパイアされた僕でした。
正直、阿里山の現役シェイには間に合いませんでしたが、ダージリンへ行けた喜びはひとしおでした。
この撮影では、鉄道讃歌のコピーを持参して撮影に臨みました。
またダージリンへ行きてえな~!!

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1992.12 インド “世界遺産鉄道” チンダリア・ワークショップ
ここまで来ると、人々の顔はインド系よりもチベット系が多くなっています。
いつでもどこでもインド人はノリがいいのです!!
僕は“記撮”も時代背景のある大切な鉄道情景と思います。
ダージリンは機会があればまた訪れてみたいものです・・・。
プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。

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