1996.9 インドネシア  “ラック蒸機とKさんとの思い出”

インドネシア
1996.9 インドネシア  “ラック蒸機とKさんとの思い出”

旅の思い出は、蒸機の画像や記念写真と共に永遠に記憶されます。
Kさんと出会ったのは、僕がRMに“パキスタン蒸機”を掲載したことがきっかけでした。
その後にRM編集部を通じてKさんからアプローチがありました。

たぶんお互いにシンパシーを感じたのではないでしょうか?
その後にKさんとインドネシア・タイ・ポーランド・アルゼンチン・パキスタン・南アフリカ・ジンバブエと、
実に7ヵ国もの多くの国を一緒に撮影に行きました。
当時の僕もKさんも何とか資金は工面できるが、仕事が忙しくて休みが取れない状態でした。
それでも何とかして、会社から有給休暇を捻出させることに成功して、
“弾丸撮影ツアー”を無理やり何度となく実行してきました。

そんなある日の事でした。
当時の僕が勤務する会社で、とうとう僕にも“地獄の研修”参加の順番が廻ってきたのです。
当時はやりの“地獄の特訓”とでも申し上げましょうか。
何が地獄の研修か特訓か?管理者への義務なのか?更にステップアップするための登竜門なのかわ
かりません。管理者がこんな奇妙な研修を受けることによって、組織が経営が利益がUPするのかも僕
にはわかりませんでした。

研修期間中の一週間は携帯を没収され、いかなる場合も外部との連絡はシャットアウトされます。
早朝から深夜まで、知力と体力、共同と調和。ディベートなんて最悪だし、なぜ倒れるまで走るの?
“地獄の研修”では多くの社員が脱走しました・・・。
研修最終日の昼食がカレーだと?ここは海軍か?

てなわけで僕は無事“地獄の研修”を卒業しました。ただし強烈な筋肉痛と声が出なくなったが・・・。
卒業証書をいただき、携帯を返してもらい携帯を見て聞いて驚いてしまいました。

たった一週間世間から隔離されただけですが、Kさん死去。通夜○月○日○時から・・・。
葬儀○月○日○時から・・・。と、多数の連絡ください伝言・・・。
日付を確認すると“地獄の研修”中に事の全てが終わっていました・・・。
僕って薄情なのだろうか?別れに言い訳はできないのです。   合掌

後日談。理由は定かではありませんが管理者の“地獄の研修”は廃止になりましたトサ。

インドネシア
1996.9 インドネシア  “ラック蒸機とKさんとの思い出”

この撮影行で、その後のインドネシア蒸機撮影で大変お世話になる“リニアントさん”と出会いました。
その後に妻となる女性との婚前旅行では、インドネシアのジャワ島からバリ島まで蒸機撮影&観光した
時にも“リニアントさん”に運転手兼、通訳をしてもらいました。

今宵はなんだかしんみりしてきましたトサ。

1999.8 インドネシア “森のファイアレス” SEMBOROにて

インドネシア
1999.8 インドネシア “森のファイアレス” SEMBOROにて

鐘を鳴らしながら“ファイアレス”2号機が予定通りやって来た!!
機関車後方に乗車しているおじさんは、空転防止の砂撒きおじさんなのだ!!

それにしても前泊したJemberのホテルは酷かった。
宿泊費は日本円で約600円。安かろう悪かろうのクーラー無し。飯は屋台で食べたのだ。
気ままな一人旅だが、前夜にSEMBORO工場に翌日の撮影の挨拶とお願いに来たのだ。
機関車を動かす職員に、明日朝ファイアレスの2号機と3号機を動かしてほしいと依頼してきたのだ。
勿論金銭の支払いは無い(今では考えられないが)。タバコ2箱でのお願いだ。

インドネシア
1999.8 インドネシア “森のファイアレス” SEMBOROにて

清々しい朝の光を浴びながら“森のファイアレス”がチョコマカ!チョコマカ!と動き回るのだ。
約束通り午前中に2号機と3号機を動かしていただき、たっぷりと撮影ができたのであった。

こんな“鉄道情景”を独り占めする為の一人旅をしていた頃のお話だ!!

本日がインドネシア撮影最終日だ、午後2時までSURABAYA空港に行き、2回乗り継いで東京へ帰るのだ。

1998.8 インドネシア “赤道直下のナロー蒸機たち”

インドネシア
1998.8 インドネシア “赤道直下のナロー蒸機たち”
意外と知られていないが“インドネシア”は人口2億人で、イスラム教徒最大の人口を誇る国なのだ。

“朝の機関区”この機関車を見て“SRAGI”とわかった方はシブイ!!
恐らくインドネシアナローフリークだろう。
今年の夏も、恐らく稼働する貴重な現役蒸機の製糖工場だ!!

インドネシア人も愛嬌があり、“ノリ”もいい!!
当時は、朝はまず機関区で斜光線を撮影に行き、昼間はどれだけ多くの工場を巡るかが勝負。
夕方になると斜光線を求めフィールドへ向い、
夜はファイヤーバルブを求めて再びヤードに戻ってくる充実した撮影だった。

インドネシアは赤道直下だが意外と過ごしやすい国だった。



プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。

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