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“国鉄時代Vol.39”

掲載誌

毎号、発売を楽しみにしているネコパブリッシング発行の“国鉄時代”は現役蒸機時代にタイムスリップします。
9月20日発売の“国鉄時代Vol.39”の山下修司編集長のコラム“「国鉄時代」徒然草39”では“勝利6形”と題して
いまから28年前の1986年12月の中国東北地方の蒸機撮影のお話でした。

掲載誌

彼の中国蒸機撮影スタイルの凄い所は、全行程、通訳&ガイドなしの“自由旅行”な点です!!
当時の中国で一番苦労するのが移動の為の鉄道切符の購入です。
長距離列車の切符の購入は時間が掛かり通常の鉄ならめげてしまいます。

僕の場合、通訳有の手配旅行でした。

彼と目的は同じで吉林エリアの“勝利6形”撮影でした。
彼と吉林で何日か一緒に撮影し別れました。(当時の僕のお話が少しだけでてきます)

冬になると、あの厳冬の中国で若き日の山下修司編集長との出会いは忘れることが出来ません。
もう28年前のお話です。
あの頃は、冬になると中国(旧満州エリア)の撮影が待ち遠しかったことを思い出します。

アサヒグラフ 通巻3838号 1995・12・1

掲載誌
アサヒグラフ 通巻3838号 1995・12・1 ※アサヒグラフは2000年に廃刊。

掲載誌

インド紀行・登山列車が行くで寄稿してます。

掲載誌

インドは1989年から1995年の間に12回、蒸機を求めて渡航しています。

掲載誌

蒸機撮影に、かなりややこしい国ですが一番印象に残る国でした。

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忘れ得ぬ鉄道情景 №1 

飲み会
2014.5.1 目黒区駒八“9633会”世界の蒸気機関車で有名な都築氏とナローで有名な浅野氏の“駒八会”
いづれにしろ鉄の濃い飲み会に他ならない。情報交換や昔話に花が咲く。

掲載誌
掲載誌
掲載誌

2012.7.1発売。僕にとって憧れの“KEMURI PRO”監修の雑誌に参加した。
僕の担当は“魔境LEDO インド最後のBAGNALL”カラー10ページだ。
内容は、インド・アッサム地方の2ftの専用線のお話です。
まだ在庫は有ると思います。

国鉄時代vol.25 2011・5月号

掲載誌
国鉄時代 特集EF58

掲載誌
昭和47年 初めての北海道旅行 カラー4ページ担当してます。

国鉄時代Vol.25 2011-5月号 特集 EF58

C62逢いたや・・・15歳中学生の夏の冒険
昭和47年 初めての北海道旅行    紅葉山倶楽部 高野陽一

■8月23日(水)
 青函連絡船の重低音の汽笛が「ボーッ」と鳴り我に返った。5便「八甲田丸」の潮風薫るデッキにたたずみ、前方に函館山を見据える。夢にまで見た北海道にまもなく上陸する。青函連絡船のスピードが落ちたと思ったら、船尾にタグボードが付いて、ゆっくりと旋回し船尾から着岸した。煙が立ち昇っているあたりが五稜郭機関区だろうか。着岸後タラップが掛けられ、長距離列車に乗り継ぐ乗客は、我先にと函館駅のホームを目指す。

 ―中略―

 わずか6泊7日(すべて車中泊)僕はたった一人で時刻表と蒸機ダイヤを読み鉄道で移動し、夢にまで見た
C55やC62を撮影し無事帰宅した。ぼくの15歳の夏の小さな大冒険はこうして終わった。
もちろん、反省点も多々ある。しかし楽しかった。
 この旅で自信をつけたのか、7か月後の1973年3月、僕は再び津軽海峡を渡る。

なぜ一人で北海道へ蒸機撮影に出かけたか、には訳があった。
 前年の中2の夏、昭和46年の事だ。同級生4人で九州蒸機撮影旅行を企てた。目的は大畑ループや、行き掛けの駄賃で布原のD51三重連も含まれる贅沢な計画だった。しかし4人組の結束はあっけなく崩れた。A君の離脱をきっかけに旅行は中止になった。誰の責任でもない、金も勇気もなかった結果だ。以来、僕は他人の責任にするのが嫌なので、行きたいときは一人でも撮影に行くと決めた。

昭和47年の夏の北海道と言えば、一年前に憧れのC62重連・急行「ニセコ」はDL化されてしまった。「ニセコ」を撮影できなかった、トラウマこそが僕の蒸機撮影の原動力に他ならないのだ・・・。

国鉄時代vol.21 2010・5月号

掲載誌
特集:昭和50年

掲載誌
“鉄道少年最後の夏”を白黒12ページと、奥井伴彦さんの“終焉の日に”で白黒2点担当してます。

掲載誌
僕たちと廣田さんのセピア色の記念写真は時空を超える!!

国鉄時代Vol.21 2010-5月号 特集 昭和50年より

鉄道少年最後の夏 紅葉山倶楽部 高野陽一

覚えていますか、
蒸気機関車が最後の輝きを放っていた、
あの夏の日々のことを・・・。
廣田さんに頂いたサインは、「富浦いい天気」だった。
 ―前略―
■あこがれの廣田尚敬さん
1975年8月25日、ひっきりなしに蒸機列車がやって来る室蘭本線の志文、栗丘、栗山、由仁、沼ノ端、社台、白老、虎杖浜と、めぼしい撮影地を転戦し、終に富浦の太平洋を見下ろす丘へとやって来た。今でもミーハーな僕だが、元祖ミーハー的な出来事があった。
僕らの近くで撮影していた背の高い大人が、あの有名な廣田尚敬さんだと僕は最初から気が付いていた。C57牽引の岩見沢行き227ㇾの撮影後、僕は勇気を出して廣田さんに声をかけた。鉄道少年の突然のお願いに、気軽に記念写真まで付き合って頂き、とても嬉しかったことを昨日のことのように覚えている。そのときの廣田さんから頂いたサインは「富浦いい天気」だった。
 ―後略―
仲間の誰かがポツリと言った。
「これで蒸機を追いかけた青春が終わったんだね・・・」
以上が「鉄道少年最後の夏」の抜粋です。
僕にとって1975年18才の夏のおもひででした。
プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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