第41回 6788会in渋谷 ―40年後の同窓会へ― “語りつくせない夜”  

第41回 6788会in渋谷 ―40年後の同窓会へ― “語りつくせない夜”
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リアル6788会。あれっ?井門さんは何処に行ったのでしょう・・・。
広田さんと奥井さんと記撮が出来てうれしく思います。
あの現場の40年前の空気感を感じましたトサ。

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注文していたトレーナーとTシャツを購入しました。奥井さんのデザインでしょうか。

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楽しそうですね!!

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第41回6788会 ※井門さんのブログを引用してみます。
  
昭和50年12月24日、日本最後の現役蒸機列車‘夕張線6788列車’追分到着を見届けた5人が追分
の旅館で第1回6788会を開いて40年、今年も第41回6788会が開かれました。

その時の参加者;増田泉氏、土屋宝土氏、奥井伴彦氏、長島良成氏、井門義博氏が卒業、就職の時期、
周囲の仲間も同じ境遇で6788会危機の時期が数年続きましたが、年を経るごとに充実して第41回を迎
える今年は廣田尚敬先生を迎えて21名程で盛大に開かれました。
僕の個人的な感想ですが、この場は国鉄現役蒸機を語る集いの場だと信じています。

ほかならぬ50年12月24日夕方蒸機による最後の下り列車D51241牽引9799レを川端~滝ノ上で
廣田さんと4人並んで撮影したのが長島氏、奥井氏、井門氏だったのです。
それが今月発売の“国鉄時代44号”の表紙です。

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これが6788会の歴史だそうです。
僕もこの歴史ある会に、6788列車を撮影した蒸機ファンとして17年ほど前から参加しています。

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廣田さんが撮影された “国鉄時代44号”29ページの197512.24撮影の紅葉山駅待合室のストーブ
の前に佇む“若き日の長髪の僕”が写っていました・・・。

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6788会を通じてAさんと知り合いました。

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1975.12.24 夕張線・十三里
国鉄下り最終貨物列車9799ㇾD51241 太陽を背に檜舞台の勾配を競り上がってきた。
万感の思いでシャッターを切るのだ・・・。

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もう何も言うことはありません。皆さま遊んでいただきありがとうございます!!

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井門さんのお力によって6788会は生き続けるのでしょう。

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正月は地元でマッタリと過ごします!!

今年お付き合いを頂いた皆さまに深く感謝いたします。
それでは、皆さま健康に留意して新年をお迎えくださいマセ!!

40年目の6788会in夕張  ―40年後の夕張・時間旅行への招待―         “リリーズと黄昏流星群”

40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待― “リリーズと黄昏流星群”
夕張
「夕張線 蒸気機関車の夕べ」ゆうばりホテルシューパロにて
“好きよキャプテン”よかったなあ~っ!!

リリーズ
1975年6月5日発売「水色のときめき」でデビュー。
1975年9月20日発売「好きよキャプテン」で大ヒットする。

夕張
二次会は、昭和の香りがプンプンしたスナック“みやさか”で開催。
おっ!伊藤久巳1佐殿と呑む。世界の蒸気機関車で有名な都築雅人さんにも大変お世話になりました。
札幌の矢野さんにも大変お世話になりました。
また遊びましょう?!

三次会は、ゆうばりホテルシューパロ「519号室」で開催。
井門さん・都築さん・伊藤久巳1佐殿・国鉄時代編集長山下さん・そして僕・・・。
呑むにつれ頭がとろけていきましたトサ!!恐らく最初で最後の組み合わせでしょう。

こんな楽しい思い出になる企画を計画され実行された井門さんや実行委員の奥井さんに深く感謝いた
します。10年後もお願いいたします。

夕張
スナック“みやさか”で燕・奈緒美さんと燕・真由美さんと呑む。まさに昭和レトロだよね。

夕張線は決して有名撮影地があるわけではありません。
しかし沿線にあった炭鉱や夕張特有のムードに誘われて何度も彼の地を訪れています。
撮影データを調べてみると1974年4月・8月・1975年4月・8月・11月そして12月延べ撮影日数も2週間以上で
しょうか。何かの因縁でしょうか。

リリーズと直接話す機会がありました。清水沢地区は昭和30年代には13.000人の人々が暮らしていたそう
です。それはそれは賑やかだったそうです・・・。
昔の清水沢に確か跨線橋あったよね?僕ねあそこで何回か寝袋で寝ましたよ・・・。あそこで・・・。
駅には売店もあり賑やかで、通学や乗り換えの高校生たくさんいたね・・・。よく知ってますね・・・。

1974年11月には駅前の“ツバメ電器商会”を見に行った話をした。
リリーズの父親はカメラ好きで良くSLを写したそうです。
当時はキャンデーズが好きだったがリリーズ・デビューも衝撃的でした。

生リリーズと呑む、このまま帰りたくない。まさに“リリーズと黄昏流星群”なんてね・・・。
夕張
“白昼夢”だね?!何も言うことは無いのですハイ!!
僕の初恋の人の名前も確か“真由美ちゃん”でした・・・。今頃どうしているだろうか・・・。 
夢なら覚めないでほしい、あわよくば40年前にタイムスリップしたいのです。

                                   ―“リリーズと黄昏流星群”おしまい―

40年目の6788会in夕張―40年後の夕張・時間旅行への招待― “清水沢にて”

40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待― “清水沢にて”
夕張
清水沢駅前商店街にリリーズの生家“ツバメ電器商会”があった。
かつて大夕張鉄道が乗り入れていた広い構内は棒線化され人々の賑わいは無い。
夕張
静寂の清水沢駅・・・。
当時の清水沢を知る蒸機ファンはビックリするはずです。
新夕張~夕張の16.1 ㎞の廃止問題もあり・・・。
夕張市の人口は石炭産業華やかし頃が12万人で現在は9千人だそうです。
夕張
2015.12.24今でもリリーズの美貌は衰えていない。
夕張
かつては売店もあり、乗降客で賑わっていた。
撮影は1975年冬だろうか?!
40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待― “清水沢にて”

40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待―          “最後の夜行急行「はまなす」”

40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待―  “最後の夜行急行「はまなす」”

知りませんでした。急行「はまなす」が最後の夜行急行列車だったとは・・・。
北海道新幹線の開通はめでたい事ですが、夜行寝台列車が次々と消えていくことは残念なことです。
青森駅で撮影している鉄道ファンは年代が20~30代が中心だったと思います。

夕張
急行「はまなす」のHMは盗難防止用に厳重に鍵で固定されておりました。
夕張
昔は何処の駅でも見られた鉄道情景でした。
夕張
意外と浴衣に着替える人は少なかったように思います。

それでは寝台車に揺られながら“40年前に時間旅行”へ出発です・・・。

40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待― “途中下車”

40年目の6788会in夕張 ―40年後の夕張・時間旅行への招待― “途中下車”
「今年の6788会は40年目の記念で夕張で開催します。」こんなお誘いを頂いたのは秋の事でした。
主宰は井門氏と奥井氏です。
お誘いを頂けたなら、ハイ!!喜んで参加しますの手をあげました?!
お誘いの内容には☆蒸気機関車本線運転終了40年記念☾―1975.12.24 D51241牽引 第6788列車 ―
「夕張線 蒸気機関車の夕べ」とありました。
何を差し置いても、どんなリスクがあろうとも参加いたします!!
プログラムの内容で“リリーズコンサート”の文字が書いてありました。
エッ?!生リリーズをこの目で見れるの?!「好きよキャプテン」聞きたいなあ~ッ!!
何はともあれ、都築さんと初めて2泊3日の“鉄旅”に出発しました。
彼とは1984年に中国蒸機撮影で知り合った30年以上の旧知の仲です。

釜石
せっかく北海道へ行くのですから、釜石線が運転されるとの事で“途中下車”を試みます。
お互い蒸機撮影歴45年以上のコンビです。きっといい絵図らが撮れるはずです。

釜石
遠野まで5回スナップして、遠野でのんびりと昼飯を食べて、“平倉俯瞰”撮影後新幹線で新青森へ向かいます。
なんだかなぁ~ッ!!
雪の無い釜石線なんて「クリープを入れないコーヒーなんて・・・。」てなもんです。
しかしそれなりに釜石線C58の煙を楽しみましたトサ・・・。
「急行はまなす」乗車も楽しみです。ハイ!!

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― “エピローグと後日談”

夕張
1975年12月25日 追分機関区

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― “エピローグと後日談”
1975年12月21日(日)~28日(日)7泊8日。
東室蘭駅プラベンチに4泊、夜行に3泊した勘定になる。座りながら寝てケツが痛くなった8日間だった。蒸機の撮
影も天候や幸運に恵まれた。車に乗せて頂きD51603を追い駆けて頂いたファンや、薄汚い僕をヒッチハイクで
乗せてくれた親切な地元の人。夕張駅6788ㇾ撮影時に僕を最前列に割り込ませてくれた親切な報道陣に感謝
します。
25日に追分で一緒に記念写真を撮った仲間たちは今頃何をしているのだろうか?今でも蒸機を撮影しているの
だろうか・・・。
伝え聞くところによるとH君は体を壊したそうだ。T君は音信不通。F君とはその後も海外鉄道研究会で時々お会
いするが、撮影は一緒に行かなくなった?!趣味趣向の不一致だろうか?蒸機撮影の情熱が消えたのか?そ
れとも“イベント蒸機”が好きでないからのだろうか・・・。
たとえ保存蒸機であれ“生きている蒸機”に変わりはない。蒸機を撮影出来る“今”を楽しみたいのだ。

全ては1969年・八高線拝島駅のD51745から始まり夕張線D51241で終わったのだ。現役蒸機を追い駆けた
7年間は今から考えると夢のような時間だった(撮影内容は別として)。中学・高校はアルバイトと蒸機撮影
に夢中だったのだ。
やがて社会人となり、大井川鐵道や山口線に興味を持った時期があった。でも何か違和感を覚えたのだ。
そして世界の現役蒸機を無謀にも20年間追い駆けた。
C6120の復活と共に再び原点回帰してC6120やD51498を追い駆けている。そして2017年D51200の復活の
ビックニュースが飛び込んできた。まだまだ蒸機の撮影をやめられそうにないのだ。

12月23日(火)沼ノ沢の築堤で1791ㇾを撮影した現場で“6788会”を立ち上げた、井門氏・奥井氏とニアミスし
ていたことが20数年後にわかったのだ。
蒸機趣味を通じて多くの友人に恵まれたことは僕の一生の宝であろう!!
そして国鉄最終蒸機列車6788ㇾD51241から40年目の記念日2015年12月24日(木)に開催された
“夕張6788会”に参加している僕がいるのだ・・・。
“蒸気機関車”は僕の永遠のテーマだろう。

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第5~8日目 “未練・終局”

夕張
1975年12月25日 追分にて

1975年12月25日(木)~12月29日(月)
Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第5~8日目 “未練・終局”
25日(木)晴れ
東室蘭6:23→223ㇾDD51→追分8:44
本線蒸機終了後、どうしても追分機関区を訪れたかったのだ。
ラウンドハウスにはD51241・D51465・D51603・D51916・D511086・49648がナンバープレートもそのまま
有火状態で鎮座していたのだ。入換には39679と79602が使用されていた。追分で先行して渡道してい
た友人(H君・T君・F君)と会い記念写真を撮る。
※何故蒸機を背景に撮影しなかったのか未だに謎だ。
午後から鉄原コークス工場のS304を撮影に行く。この日も東室蘭で駅前銭湯で汗を流し東室蘭のプラ
ベンチで就寝。

26日(金)晴れ
東室蘭6:23→223ㇾDD51→追分8:44
今日も追分機関区へ行く。僕の現役蒸機の最後のカットは追分機関区のラウンドハウスに佇むD51
1086・D51241・D51465・49648が並んだカットだった。
午後から清水沢の三菱石炭鉱業・大夕張鉄道のスハニ6(3軸ボギー客車)のストーブ列車に乗り納
めに行った。
南大夕張16:37→大夕張鉄道→遠幌16:47(切符を買うため下車)、遠幌→夕鉄バス→清水沢、
清水沢17:56→736D→追分18:58
(何故か蒸機夜景は撮らず、ラーメン・ライスを食べ駅前銭湯で時間を潰す)、
追分22:47→582D→苫小牧23:25。

27日(土)曇り
苫小牧0:39→急行「すずらん4号」→函館6:10。
函館7:10の26便で帰ればいいのだが、この日は一日中函館市電を撮影と完乗したりして時間を潰す。
謎の行動が多いのだ。

函館17:00→4便「十和田丸」→青森20:50
28日(日)晴れ(心は暴風雨!!)
青森0:03→急行「八甲田」ED75・EF57→上野11:07 上野→池袋→大泉学園→所沢経由→拝島16:00
よほど腹が減ったのか大泉学園で下車してF君宅で昼飯を食らう。本心は自宅に帰るのが怖かったから
だ・・・。親に北海道にSL撮影に行くと報告せず、親を心配させたり終業式をさぼったりと親不孝を重ね自
宅に帰宅すると“怒りの親父の鉄拳制裁”が待ち受けていたのだった。コタツの上には昭和50年12月25日
の読売新聞朝刊が広げられたままになっており、よく見るとタイトルが「デゴイチも最後のばく進」夕張で撮
影されたD51241と僕の後ろ姿がバッチリ映し出されていたのだった・・・。
                                 ―完―

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第4日目 “幸運なLAST DAYs”

夕張

1975年12月24日(水)晴れ
Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第4日目 “幸運なLAST DAYs”
不思議なもので、よほど興奮していたのか今日も朝3時に目が覚める。いよいよ今日が最終日だ!気合を入
れる!!
東室蘭3:48→急行「すずらん4号」DD51→苫小牧4:45、苫小牧5:05→721D→鹿ノ谷6:49
快晴無風。前日ロケハンした“北炭平和炭鉱のズリ山”を目指す。途中までヒッチハイクしズリ山を登る。頂上
に登ると眺望が開けた、平和トンネル突入から鹿ノ谷駅まで約4㎞ぐらい見えるだろうか?北炭化成工業の
高さ63mの巨大煙突も見える。9:20遠くで1791ㇾD51465の煙が見えた!平和トンネル突入だろうか。眼下の
炭鉱風景を行く蒸機を煙が見えなくなるまで約7分間のドラマを堪能する。ブラスト音が谷間に木霊する。
いい絵が撮れた!!
眼下に見えるあたりが映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地だ。
ヒッチハイクで紅葉山の夕張川を挟んだ丘を目指す。そこで5782ㇾD511086を撮影し十三里まで歩く5797ㇾ
D51603と5792ㇾD51465をナンバーのわかる線路端で写す。十三里はマニアが少なくストレスなく撮影できる
穴場だ。

夕張
夕張

下り国鉄最終蒸機列車は9799ㇾD51241だ。15:30ギラギラした太陽を背にD51241の煙が見えた!!
カセットデンスケのスイッチON。三台のカメラでシャッターを切りまくる。すぐに片づけてヒッチハイクで紅葉山
駅へ、今日は神の御加護かヒッチハイクがうまくいくのだ。紅葉山15:50の発車を捕らえ5794ㇾを無視して
夕張へと向かう事にする。
紅葉山で見た多くのマニアで夕張に向かう人は少ないのだ。少し安心する。
紅葉山16:44→734D→夕張17:22

夕張
国鉄最終蒸機列車 夕張駅 6788ㇾ D51241

国鉄最終蒸機列車6788ㇾD51241は途中の鹿ノ谷で32分停車、清水沢では17分停車し石炭満載のセキを
増結し重量列車の発車が撮れるはずだが、夕張で撮影すると最初から決めていた。夕張には6788ㇾ出発の
約2時間前に到着した。
夕張で6788ㇾの発車を見送るファンは何人いたのだろう?(読売新聞発表では夕張駅に約100人、
沿線で約600人とあるが)構内のアナウンスではしきりに報道関係者以外は後ろに下がるように!!と
放送していたのだが、何とか報道関係者が陣取る最前列を確保する。簡単なセレモニーに続いて構内では
“蛍の光”が流れ始めた。

夕張19:10発、国鉄最終蒸機列車6788ㇾD51241の汽笛が夕張の谷間に木霊する。僅かな時間だったが、
ヤシカフレックス(コダカラ―)を3カット、ミノルタ(TX)を3カット渾身のシャッターを切る。騒然とした構内の
生録もカセットデンスケをONした。

6788ㇾ発車直後には、見送るファンが「ごくろうさん!」「さようなら!」「ありがとう!」と叫ぶ!
僕も負けずに「さようなら、ありがとう!」と叫ぶのだった。これで僕の“蒸機を追い駆けた青春”は終わりを
告げた。
夕張21:09→738D→追分22:02、追分22:47→582D→苫小牧23:25
苫小牧0:39→急行「すずらん4号」→東室蘭1:42
本来なら急行「すずらん4号」で帰路に着く筈が予定変更して東室蘭で下車する。なんだかすごく疲れた日
だった。
そして記念すべき国鉄最終蒸機列車6788ㇾD51241を夕張で見届けた実感が湧いてきたのだ。
このまま帰りたくない・・・。

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第3日目 “D51603追跡”

夕張
1975年12月23日(火)晴れ  沼ノ沢-南清水沢 1791ㇾ D51603

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第3日目 “D51603追跡”
東室蘭3:48→急行「すずらん4号」DD51→苫小牧4:45、苫小牧5:05→721D→沼ノ沢6:29
深夜3時、座っての睡眠でいささかケツが痛くて目が覚めたのだ。星空に晴れを予感する。
同じように東室蘭で寝起きする若くて貧乏(貧乏は精神を強化する)な鉄ちゃんたちと、沈黙の急行「すずらん
4号」の乗客となる。
快晴無風。撮影地をいろいろ考えたが、沼ノ沢の南清水沢側にある築堤を逆光で狙うことにする。1791ㇾは
ピカピカのD51603がモコモコの煙でやって来た、手ごたえあり!!
この撮影地で“何処のどなた”か存じ上げませんが?!「D51603を車で追い駆けて撮影するけど?君も夕張
まで一緒に行く?」「ハイ!!同行させていただきます?」なんと素敵な出来事だろう!かくしてD51603追跡
の始まりだ。
南清水沢―鹿ノ谷・平和トンネル飛び出し、鹿ノ谷入換+築堤走行、夕張・入換+転車台とD51603をたっぷり
と撮影したのだ。(D51603は苗穂工場にて国鉄最後のSL中間検査Aの工場検修を受けたピカピカの罐)
夕張11:45→728D→清水沢11:59 
5792ㇾD51603と5797ㇾD51を撮影。
清水沢16:30→734D→追分17:22
追分駅で入換の79602「門デフ」撮影後に駅前銭湯へ行った。
追分21:11→232ㇾDD51→東室蘭23:22
残念ながらDD51牽引だが、足を延ばして2時間の睡眠を貪る。
今日も東室蘭でラーメン・ライスを食べた後、駅のブラベンチで座ったままこれまた爆睡。
今日は天気も良くD51603をたっぷりと堪能してご機嫌な一日だった。先行して渡道している友人と今日も会
えず・・・。

夕張
南清水沢-鹿ノ谷 平和トンネル 1791ㇾ D51603
※2015.12.24の“6788会in夕張”の呑み会で当時の機関士にこのトンネル名を伺いましたら
“清水沢トンネル”だと教えてくれました。
※正しくは“稚南部隧道”161mでした。

Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第2日目 “第一種遭遇”


夕張
1975年12月22日(月)雪のち曇り 追分 79602


Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第2日目 “第一種遭遇”
苫小牧8:00→223ㇾDD51→追分8:44
追分駅で入換の79602「門デフ」を撮影する、蒸機は生きていたのだ。
追分9:18→727D→紅葉山10:01
いよいよキハ22に乗って紅葉山へ向かう。同年代の若い鉄ちゃんが沢山いるのだ。
5782ㇾD511086と5797ㇾD51603と5792ㇾD51と紅葉山周辺で撮影し、最後に9799ㇾD51916の紅葉山
発車を撮影し、今夜の宿・東室蘭駅マルヨに向かう。
紅葉山16:44→734D→追分17:22、追分17:38→230ㇾDD51→室蘭20:20
室蘭20:34→575D→東室蘭21:54
よほど疲れていた様だ。230ㇾでは爆睡してしまい室蘭でカレチに起こされるまで全く気が付かず。
東室蘭でラーメン・ライス食べた後、駅のブラベンチで座ったままこれまた爆睡。
天気が悪く成果も上がらず、友人とも会わず・・・。トホホの一日だったのだ。

夕張
紅葉山 - 十三里
プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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