ひとつの時代の終わり Lance King 氏 死去

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英国CRJ 誌をご存じだろうか?

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英国CRJ誌に何度か、記名記事で掲載されて僕はご満悦でした。
廣田先生の米国TRAIN誌の掲載には及びませんが・・・。

“あまらぼ鍋屋町”氏のブログを拝見しLance King氏死去を知りました。

Lance King氏は、CRJ(コンチネンタル・レイルウェイ・ジャーナル)誌の創設者です。
89年12月に中国・蘭新線・烏鞘嶺でTed氏と友達になりました。
当時の僕はアジアの蒸機情報が知りたくてTed氏に相談するとLance King氏を紹介してくれました。
その後Lance King氏と手紙でやり取りするようになりました。

Lance King氏から頂いた正確な情報を頼りにアジア各国を訪れました。
帰国後に僕の見てきた情報をLance King氏に報告し、
僕のいくつかのつたない記事がCRJ誌を飾りました。
イギリスの蒸機趣味誌に掲載された感動は今でも忘れません。

90年代の僕の蒸機趣味のなかでLance King氏には大変お世話になりました。
世界の蒸機ファンに影響を与え続けたLance King氏にあらためて、

極東の日いづる国より 合掌いたします・・・。

語り尽くせない汽車物語 4話 “消えた撮影地・福用大俯瞰” 198X/1

大井川鐵道に撮影に行くと何かホットします。
第一橋梁付近は随分と様変わりましたが、沿線の駅周辺の佇まいは昭和のままです。
夢中になって大井川鐵道に通っていた頃のお話しです。

大井川
語り尽くせない汽車物語 4話 “消えた撮影地・福用大俯瞰” 198X/1

大井川鐵道は僕の大好きな鉄道です。
保存蒸機運転も40年間に及んでいますので、撮影日数は二百日を優に超えています。
40年の歴史ある歳月は撮影地も変えていきました。
この福用大俯瞰も木々の成長と共に線路を俯瞰できなくなりました。

この日は、浜松の森岡さんと一緒に俯瞰した記憶があります。
森岡さんの陸上自衛隊を彷彿させる迷彩服の出で立ちが印象的でした。

この日は“川根路号〇〇会”が、福用お立ち台で煙を頼んだと情報を得て“福用大俯瞰”に挑みました。
この撮影地は何度も登り撮影しましたが、なかなか納得した絵図らが生まれません。
上から見ていると線路端に続々と“川根路号〇〇会”が集まって来ました。
良し!!これで福用大俯瞰で煙が頂けるはずです。
汽車がやって来ました。C11227+旧客5輌の電機の補機無編成です。
踏切を渡りほぼ無煙の汽車が急に力行を始めました。この場所でこれだけの煙を頂ければ上等です。
この日の山を降りる時の足が軽かった事はまちがいありません。

大井川
大井川鐵道の正月運転恒例の日の丸です。
やはりヘッドマーク無しの日の丸が蒸機に良く似合っています。

※許可を得て撮影

2015.2.24 大井川鐵道 “残照”

大井川
2015.2.24 大井川鐵道 “残照”

夜汽車の走る日の大井川鐵道。普段走る事の無い時間帯の下り蒸機列車です。
日が沈みかけた微妙な時間帯にC108が現れました。
前照灯と予備灯の二灯の点灯が印象的でした。
1/23の大井川鐵道の“門デフC11190夜行”はどうなりますことやら。

2013.2.3 成田線 “D51の季節”


成田
2013.2.3 成田線 “D51の季節”

これから成田線(佐原-銚子)でD51498+旧客+DE10の蒸機列車が運転されます。
試運転が1/22・23・25・26・27。本運転が29・30・31というのは周知のとおりです。
チャンスがあれば“汽車見”に行きたいのですが・・・。 

東京多摩地区では1/18の朝方に降った雪がまだ溶けていません。
今日の朝少しだけ雪かきでもしてみましょうか。

地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 1話 “丸窓電車” 1985/10

70年代~90年代にかけて近代化を遂げて生き残った中小私鉄もありますが、魅力的な、数々の中小私鉄
が廃止された事も事実です。
個人的に興味を持ち、幾つかの中小私鉄を訪れる事が出来ました。
地域は非常に偏っていますが、地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録としてUPしてみます。

80年代の僕は撮影に迷っていた気がします。
84年に中国蒸機を初めて撮影し、国内蒸機の撮影をしていない時期がありました。
国内の撮影は、地方私鉄や国鉄の蒸機時代に訪れていない地方を目指していました。
硬券切符や硬券入場券の収集は続けていました。
新しい旅の始まりです。正確には硬券切符を求める旅だったのかもしれません・・・。


上田
地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 1話 “丸窓電車” 1985/10

当時の上田交通の“丸窓電車”は大変人気がありました。
何度も何度も撮影に通いました。塩田平特有の四季やローカル線の佇まいに魅力を感じました。
撮影は組み写真を考慮して撮影していますので人がらみを狙ってみました。
平日の撮影では電車マニアに一度も会ったことがありませんでした。

上田
都会では考えられない線路内通学です。
おそらく線路上を歩くのが一番安全で学校へ通う近道なのでしょう。
ローアングルでの撮影で線路幅が広く見えますが1067㎜の普通の軌間です。

この時代は、まだまだおおらかな時代でした。
日がな一日、カメラを首からぶら下げて線路端を歩きました。

語り尽くせない汽車物語 3話 “斜陽館・奇譚” 1983/2

貴方も僕も永い間旅を続けていると、奇妙な体験の一つや二つあると思います。
“常紋トンネルの怪”は有名ですが、一人旅に限って奇妙な体験をしてしまうのです。
それは極限の疲れから来る幻覚や幻聴なのかもしれません・・・。

津軽
幾度となく津軽鉄道の除雪列車の撮影に挑戦しました。
しかし結果は悲惨そのものでした・・・。
結果に残せないのです。現代のデジタルなら記録に残せたかもしれませんが・・・。
そしていつしかキ100からモーターカーでの除雪に変わってしまいました。

憧れの津軽鉄道のラッセルは、31年後の2014年2月にやっと撮影出来ました。
但しチャーター運転のヤラセで望みは叶いました。

津軽
斜陽館をご存知でしょうか?
金木駅近くにある太宰治記念館の事です。(現在は宿泊できません)
実は1996年まで、旅館「斜陽館」として営業しておりました。

語り尽くせない汽車物語 3話 “斜陽館・奇譚”
昭和58年2月に斜陽館に連泊した時のお話しです。

何故、斜陽館に連泊したかと言うと早朝のラッセルを撮影する為だからです。
二日目の夜に布団を敷きに来た妊婦のおかみさんに、明日の出発も早いので朝食はいりません
が、おにぎりを作ってくださいと頼みました。
夜は猛吹雪でしたのでラッセルが撮影できるかもしれません。期待も膨らみます。
夜中に渡り廊下で人の気配がし目が覚めてしまいました?雪女・・・・。まさか気のせい?!
相変わらず外は猛吹雪が続いています。

朝4時半、玄関で長靴に履き替え後は、おにぎりを受け取り出発です。
朝見送りの、斜陽館のおばあさんにおにぎりを催促しました。すると聞いていないとの事?
昨晩、妊婦のおかみさんに頼んだ旨を伝えるとおばあさんは「当館には妊婦はいません・・・。」と
言い切りました。それでは僕が昨日話した妊婦はダレ・・・。

結局、半信半疑で斜陽館を出ました・・・。
そういえば前泊した時には、妊婦にもおばあさんにも会っていない事に気付きました。
ところで、朝に僕と話したおばあさんはダレなの?
いずれにしろ、妊婦かおばあさんのどちらかが、この世の人では無いのかもしれない・・・。
以来、僕は斜陽館には宿泊していません・・・。

語り尽くせない汽車物語 2話 “暖炉汽車・愛と敬の記憶” 1983/2  

新春の蒸機撮影はいかがでしたか?成果はありましたか?
弊ブログも毎日の更新は体力的に難しく不定期更新になりました。
新春のD51498+旧客でもUPをと考えましたが旬な話題は他の素晴らしいブログに譲るとして、
あくまでも、弊ブログのベクトルは“古き良き日本の鉄道情景”へといざないます。

津軽
語り尽くせない汽車物語 2話 “暖炉汽車・愛と敬の記憶”

隣の車輌から、何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきました・・・。それではそっと覗いてみましょう?!
その正体は双子の姉妹の笑い声でした。お母さんにお話を聞くことが出来ました。
来年小学校に入学する6歳の双子の姉妹で、姉が愛(あい)ちゃん、妹が敬(けい)ちゃんだそうです。
何度見ても僕には姉妹の識別がつきませんでした。

天井を見るとオハ31の折り上げのダブルルーフが魅力的です。
どうやらこの冬がオハ31活躍の最後の年のようです。

津軽
五所川原に到着したとたんに双子の姉妹は元気よく飛び出してきました!!
津軽美人のお姉さんもいました。
ダブルルーフのオハ31のゴツゴツとしたリベットが印象的です。

津軽
昭和58年の2月の上旬に東北地方を旅しています。
7日~9日まで津軽鉄道の“暖炉汽車”を撮影していました。

五農校の通学生のスナップも良いですが、昼間の閑散とした“暖炉汽車”も魅力的でした。
蒸機牽引ではありませんが“本物の汽車”を感じました。
車輌は変われど“ストーブ列車”もいまだ健在です。

語り尽くせない汽車物語 1話 「五能線・深浦にて」 1984/1

1975年12月24日に夕張線・夕張~追分間の6788ㇾD51241牽引によって国鉄本線上から蒸機列車
が消えた。1976年3月2日、追分駅の入換用の39679・49648・79602が廃止され、国鉄から蒸気機関
車の煙が途絶えたのだ。
貴方はお気づきだろうか?国鉄の残り香が漂う地方を旅すると、しばし聞こえてくる
次の“汽車”は何時だべ?そうです蒸機全廃後も“汽車”言葉は生き続けているのだ。

御存じだろうか?“汽車”は鉄道用語では断じてないのだ。
“汽車”は古き良き鉄道の黄金時代を語り継ぐ俗語(死語)かもしれない・・・。
さて、僕の体験した“語り尽くせない汽車物語”を語らずにはいられないのだ。

語り尽くせない汽車物語 1話 「五能線・深浦にて」
五能線
昭和59年1月、五能線を訪れた。目的は五能線に残る客車列車だった。
荒れ狂う日本海を背景に五能線らしい絵図らが欲しかったからだ・・・。

ところがドッコイ沿線は拍子抜けするほどの好天で少しガッカリした覚えがある。

五能線
深浦駅を見下ろす丘に登ると意外に海が近いことが分かった。
蒸機廃止後も、使われなくなった転車台が残っていた。
昭和59年2月1日に五所川原~川部間の貨物扱いが廃止になり、国鉄最後の五能線混合列車も同時
に廃止になった。

こうして見ると赤いDL牽引の旧客も日本の風景にマッチしていたことが良くわかる。

2016.1.3 “拝島大師” と “達磨・協奏曲”

だるま
 達磨よ、だるま、だるまさん。
だるま
 だるまさんの取材で高崎を訪れました。
拝島
50年振りの“拝島大師”参拝です。
拝島
何かね?竜宮城の入り口の様です。
拝島
原色のセルロイド色に感激です。
拝島
達磨市で“黄金の達磨”を購入し、ご機嫌で帰宅します。
原産地は“あきる野市”だそうです。

日本人だね~っ・・・。
みなさん!!仕事始めに向けて英気を養いましょう!!

2014.1.2 秩父鉄道 “続・日章旗の誘惑” & “本物の時代へ”

2014.1.2 秩父鉄道 “続・日章旗の誘惑” & “本物の時代へ”

秩父

皆さま。おはようございます。
2016年の“蒸機初撮り”はどこへ行きましたでしょうか?
あたしゃね正月三日目まだまだ自宅でまったりとしております・・・。

余りにも世の中“偽物”が多くなった様な気がする。
現代の情報過多時代の渦中に、己の記憶すら書き換えるヤツ・・・。
まるで己がリアル体験したかのように振る舞う中年?
「まるで己自身が見てきたかのように語り始めた話に面白味は無い!!」
リアルとバーチャルの境界線の見えない輩たち・・・。
ドレスコードではないが体験コードを見苦しいからわきまえて欲しいのだ!!

そろそろ“本物の時代”を一緒に模索してみないか?
過去は取り戻すことはできないが、これからの時代は創造することが出来るはずだ!!

そんな中で“本物の写真”と出会ったのだ。
いつの、どこの写真展だっただろうか年月すら記憶にない・・・。“一枚の写真”ずっと心の片隅
に引っかかっていたのだ。

そんなある日の、有楽町・交通会館“秋田ふるさと館”で一枚のポスターに釘付けとなったのだ。
聞くところによると“木村伊兵衛(きむらいへい)1901-1974”が1953年に秋田県・大曲で撮影した
『秋田おばこ』だった。
店主にポスターの入手方法や譲って欲しいと交渉したが非売品に付き不可不明の一言・・・。
そして数ヶ月後に奇跡的に“憧れのポスターが”我が家&我が事務所へとやって来たのだ。

日々

この「ユタカな国へ あきたびじょん」のポスター。

モデルは、柴田洋子さん(1934-2010)当時19歳、柴田さんは、作品が発表されたのち、モデル
の依頼が数多くあったのを断り、古典バレエの道を歩みます。代議士秘書を務め、その後、実
業家で日系2世の三上ヘンリー(精一)さんと結婚し、ロスアンゼルスに住みますが、いつも故郷
を想い、たびたび秋田へ里帰りしていていたとのことです。





プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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