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2016.3.12 千頭狂想曲 さながらSLブームの“さよなら運転”のごとく 

大井川
その日の“千頭駅”は熱気で包まれていました!!
お目当ては“SL三台並び”!!老いも若きも撮影に熱中します!!

この画像を見て、なんだかワクワクしてきませんか?
そうです。遥か70年代に日本各地の国鉄で行われた“SLさよなら運転”です。

僕も八高線の高麗川や拝島で同じ景色を見ています。
デジャヴ "déjà vu" と言っても過言ではありません。

本日。僕が千頭で体験した“ワクワク感”は正にこれだったのです。

大井川
撮影者を見ていると、現役蒸機世代は“スッキリとしたHM無し”を好みますが。
若い世代は“HM有り”が好みのようです。※あくまでも個人的意見ですが・・・。
理由はHMが外された時に、僕の周りにいた若いファンからため息が漏れていたからです。
皆さん“お好みの画像”をGetできたでしょうか?

2016.3 長田組土木㈱ PLYMOUTH を見に行く

ナロー
2016.3 長田組土木㈱ PLYMOUTH を見に行く

外観を見てびっくり!!
イメージは“ガイコツ機関車”or“霊柩車”のイメージが強い。
まさかこれが“オリジナル”とはとても思えない。
大平洋戦争前は内燃機関車は米国に頼っていたのか?

ナロー
運転席の屋根が異様に突き出ている。
操作掛が捕まる手すりがどこにも無いので“オリジナル”が疑われる。
それにしても存在感のある凄いデザインの内燃機関車だ!

ナロー
“フリクション・ドライブ”の仕組みがよくわかる。
僕の調査能力では、この内燃機関車の素性を解明することはできない。

ナロー
抽象的な説明も確かに大切ですが、もう少し内燃機関車の説明が欲しい。

2016.3 “旭重工業ナロー内燃機関車” 発見記!!

2016.3 “旭重工業ナロー内燃機関車” 発見記!!

ナローを知らない“門外漢”が見てもつまらないので、見ない&読まないで欲しい!!
なぜならば、この“つまらない弊ブログ”は、昨今のナロー軌道に興味のない“絵面主義的”な人が見ても、
読んでも何の参考にもならないからだ・・・。

昭和40年代に“月刊・鉄道ファン”に連載された“こっそり・ひっそり・めだたずに”を覚えているだろうか?
彼らは、空前絶後の“SLブーム”に背を向け、ただひたすら“知られざるナローを追い求めていた”のだ。

現役の森林鉄道から、なんだかわからない廃線跡や謎の機関車などを探索し媒体に発表したのだ。
当時ガキ鉄だった僕は興味があったが、とても一人では探索に出掛けることなどはできなかった。
ただし“国鉄蒸機”だけは何とか追い求めることができた。

ひるがえって現代。ネット情報の世界に突入し“新発見”などないと思っていたのだ。
そんな中で友人から“都市伝説”を聞いたのだった・・・。

確か長野県○○町の犀川の近くで“ちいさな青色の機関車”を見た!!という情報を聞いたのだ。
どうせ“木曽森林鉄道”の保存機、または放置機関車だろう?
情報はあまりにも少ないが、探しに行ってみよう!!都市伝説を頼りに・・・。

ナロー
世の中には“偶然”&“ラッキー”は、存在する!!まさに偶然に金の鉱脈を探し当てたがごとくだ!!
㈱○○の○○社長に偶然にお会いする事ができて、会社敷地内での撮影許可をいただいたのだ!!
なぜ、こんな場所に人知れず63年前の内燃機関車が存在するのか?

ナロー
SCOOP!!なのだ!!

ナロー

ナロー

ナロー
コーションプレートから、この内燃機関車の素性がわかりかけたのだ。

旭重工業株式會社
千葉縣市川市宮久保95(現在の宮久保2丁目)
整備重量 4屯
製造年月 昭和28年11月
製造番号 112号

ネットで調べてみると。

『戦時下の市川市域』(市川歴史博物館/編 1997)に「主な市内軍需関連工場一覧」が掲載されており、この
一覧によれば「日本機械車輛工業株式会社市川工場」(鉄道車両)がエリア的には一番近い。

そこで、この一覧の出典資料である『市川市勢要覧 昭和18年版』(市川市役所/編 1943)を見ると宮久保、
曽谷(三中は曽谷のため)で掲載があったのは、「日本機械車輛工業株式会社市川工場」(宮久保95)と「熊
谷製綱工作所」(曽谷1530、鋼索製造業)のみ。

ちなみに『市川市勢要覧』の昭和11年版と16年版には宮久保、曽谷の工場掲載はなく、昭和24年版には
上記「日本機械車輛工業株式会社市川工場」と住所が同じなので社名変更したと思われる「市川重工業
株式会社」(宮久保95)の記載があった。

『市川市勢要覧附商工名鑑 1952』の商工名鑑には該当なし。
『市川市史 4巻』(市川市史編纂委員会/編 1975)p309に「昭和14年の工場一覧」があるが、「日本機械車輛
工業株式会社市川工業」のみ該当した。また、インターネットの個人サイト『貨車の玉手箱』によると、「日本
機械車輛工業株式会社」は「市川重工業」→「旭重工業」と改称して廃業したとのこと。なお、このサイト中に
参考図書として記載されていた

『機関車の系譜図3』(臼井茂信/著 交友社 1976)を県立中央図書館より取寄せ確認。「日本機械車輛工業
株式会社」は東京市蒲田区に工場を開設し、1939年に千葉県市川市宮久保にも工場を新設、前者を本社と
鎌田工場とし、後者を市川工場と称した。戦災で鎌田本社と羽田の分工場が壊滅。戦後再建されたのは市
川工場のみで、これを「市川重工業」として独立させた。2年ほど順調に続いたが、1950年には旭重工業に変
り、これも結局は閉鎖となったとのこと。

結論として、このての内燃機関車に極めて詳しい友人のRM「名取編集局長」に調査依頼をかけるしかないこ
とがわかったのだ!!

2016.3.12 大井川鐵道1003ㇾ “C11190+C5644 重連狂騒曲” 

大井川

2016.3.12 大井川鐵道1003ㇾ “C11190+C5644 重連狂騒曲” 

久しぶりの大井川鐵道の重連運転です。

凄い人出にびっくりです!!若いマニアも多く見かけました。
三人の友人と撮影地でバッタリお会いしました。
大井川鐡道は電化されているものの蒸機+旧客を楽しめて、もしかすると日本で一番素敵な場所かもしれ
ません。肩の力を抜いて、まず撮影を楽しみましょう。

当日の天気は晴れたり曇ったりで露出が目まぐるしく変わりました。
重連運転にHMが付くと聞いてサイドから狙いました。
幸か不幸か、第一橋梁に蒸機が来る直前にまだらの雲が湧いてきました。
まだらの雲のおかげで河原の砂利が明るくなり動輪が見事に抜けました。

今回の撮影行は夫婦で、東京出発→明治村→東山動物園→大井川鐡道→長野(謎のナローDL探し)→
山梨→東京到着。3泊4日で走行距離は1385㎞でした。
内容は蒸機・琺瑯看板・夜景・観光・温泉・グルメ&探索の旅でした。勿論、大井川鐡道撮影も楽しみでしたが、
メインの撮影は東山動物園と長野県山中に眠る、知られざるナローDLでした。

2016.3.14 訃報・TH氏 死去

鉄
2016.3.14 友人O氏より、TH氏死去のメールをいただき驚きました・・・。

あれは昭和50年の夏。夕張線・滝ノ上の駅で彼と出会いました。
構内のはずれで、夕食のラーメンの煮炊きをしている時でした。

どこから来たの?東京?僕らと同じだね。
僕らは高校三年だけど君たちは?練馬の高校二年なんだ?
そんな他愛もない話から始まったと思います。

“馬が合う”OR“シンパシーを感じる”そんなところです。
同じ駅の軒下に泊まり、飯を作り蒸機を撮影して再び寝袋で就寝する。そんな繰り返しの旅を続けました。

撮影対象は現役蒸機から旧型電機へ、そして復活大井川鐡道&山口線へと流れていきます。
TH氏との旅は昭和50年から昭和60年ごろまで続きました。

TH氏は、持ち前の明るさから復活蒸機の現場でも求心力があったと思います。
もし撮影現場で彼を知る方がいたら、このブログを見てさぞかし驚いたと思います。

蒸気機関車が好きで、キャノンが好きで、旅が好きで、祭り太鼓が好きで、キャンディーズが好きで、
アマチア無線が好きで、スカイラインが好きだった・・・。

TH氏よ、さようなら・・・。たくさんの思い出をありがとう。  合掌

鉄

もしお暇でしたら、国鉄時代21号の“鉄道少年最後の夏”を読んでみてくださいマセ。
僕とTH氏の思い出話が綴られています。

地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 3話 鎌倉高校前 “春よ、来い” 2001/3

江ノ電
地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 3話 鎌倉高校前 “春よ、来い” 2001/3

江ノ電500型が最後の活躍をしていた時代のお話です。
何を血迷ったのか、江ノ電沿線に通うようになりました。

沿線の四季や祭りも魅力的でした。車両的には300型と500型が好みでした。
時間を見つけては、あっちへふらふら、こっちへふらふらと散策しながら撮影します。

女子高生と江ノ電を絡めるには“鎌倉高校前”と“七里ヶ浜”がよいでしょう。
良い子は真似をしてはいけません。

江ノ電
たぶんこの時代は“ミニスカ&ルーズソックス”が流行していたのでしょう。

もうすぐ4月です。新学期も始まります。

春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに ♪
愛をくれし君の なつかしき声がする ♪
春よ まだ見ぬ春・・・   ♪   ユーミンはやっぱり素敵だ


地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 2話 加悦鉄道 “キハ08” 1984/1

丹後
地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 2話 加悦鉄道 “キハ08” 1984/1

なんの気まぐれか、どこかの旅行のついでだったのかすら思い出せない。
関東から行きにくい場所に“加悦鉄道”は存在していた。

目的は間違いなく“キハ08”だった。
走行撮影もしたが、乗る目的の方が強かったのだ。

客車改造の気動車を初めて見た。
雪の日だった・・・。

丹後
車内はどう見ても客車だ、オハ62からの改造車か?
木の背もたれが強烈に客車をアピールしていた。

正直。なんだか凄いところに来たな・・・。
終点加悦駅に降り立つと時間が止まっていたのだ・・・。
びっくりしたなぁ~もぅ!!(三波伸介を思い出す)

語り尽くせない汽車物語 9話 1999.3.20 “はにかむ流し目” 昔の女学生の様に・・・。

山口
語り尽くせない汽車物語 9話 1999.3.20 “はにかむ流し目” 昔の女学生の様に・・・。

「やまぐち号」の最後の撮影が1987年5月なので、実に12年振りの再訪だった。
しかも目的は乗り鉄。車内を撮影したり、駅弁食べたりビール飲んだりと旅を楽しむ。
お気軽な“乗り鉄”一人旅だ。翌日は豊肥線の「SLあそBOY」に乗車する予定だ。

山口線で出会った友人たちのことを思いながら車窓から鉄ちゃんたちをウオッチングする目論見だ。
津和野までの沿線では、何人かの友人・知人を確認できて相変わらず鉄しているなぁと呟いてしまった。

この日のC571は「SLやまぐち号20周年記念号」だった。当日は天候も悪く気分も沈んでいた。
小郡駅で行われた記念式典も撮影したがなんだかなぁ、今一つだった。

ぼんやりと車窓を眺めていた時だった。車内通路をあるく和装の女性二人に目に留まったのだ。
若い美人さん?「ミスJRひろしま」のタスキが多少気に入らないが仕方がない。

地福の短い停車時間を利用して蒸機とコラボ撮影するの為に“素敵な和装のお嬢さん
(昔の女学生風)”を連れ出した。

停車駅では観光客も沢山降りてくるので、手際のいい撮影がポイントだ。
観光客や鉄ちゃんに邪魔されることなく撮影できたのだ。

この一枚は“はにかむ流し目”のカットを選んだのだ。
※たぶん知人からの声掛けに笑顔で答えたのだろう?

もちろん僕の好みは右側の“○香”お譲さまなのだ。
“○香”お譲さまの足袋の方角をみればセッティングの意味が分かるはず。

DJKOOへ ついにやっちまったな。記憶の上書き。
一度出した○言は○場まで持っていけ。なんてネ?


語り尽くせない汽車物語 8 話 1980.6.14 “Hotel New Grand” かもめが翔んだ日

横浜

語り尽くせない汽車物語 8 話 1980.6.14 “Hotel New Grand” かもめが翔んだ日

僕は昔11年間もの長い間、横浜市に住んでいました。
このお話は、横浜の“思い出”の一つです。

1980年6月13日~15日まで、高島貨物線(横浜臨港線・山下臨港線)をC581がスハ43系4両を
牽引して一日三往復する「SL横浜開港120周年号」が走りました。

首都圏での蒸機運転の為、想像以上の熱気溢れる人出に驚いた次第です。
日がな一日ニコンFM一台を首からぶら下げ、渡辺真知子の“かもめが翔んだ日”を
口ずさみながらのお気楽な撮影でした。C581のHMも確かブルーのかもめでした。

高島貨物線沿線をうろうろしながら結構歩いたと思います。
6月の港を渡る潮風は気持ちよく、港町のショップでハンバーガーとバドワイザーをいただくのです。
今回の撮影では、横浜港に係留されている“氷川丸”のデッキからの撮影がベストでした。
横浜のシンボルである“マリンタワー”や“Hotel New Grand”が画面に入ります。

とりわけ僕のお気に入りは歴史的建造物の“Hotel New Grand”(1927年開業、太平洋戦争
終戦後米国のSCAP[連合国最高司令官]としてDouglas Macarthurが来日して滞在する)でした。

Please Go シェイドの隙間に
So Sweet 振り向いたお前
Just Rain コートの襟立てて
So Long
部屋を見上げてた
見下ろす雨の歩道で
無理に微笑むお前さ
物憂い影を引くほど
たまらず Sexy in Blue
雨音が忍び込む
ニューグランドホテル
優しさに甘えない女だった 

時代は違うが1988年に矢沢永吉によってリリースされた“Hotel New Grand”は、
彼独特の渋い声が、当時を思い出し今でも心にしみるのでした。

もしもチャンスがあれば315号室の「マッカーサーズスイート」に宿泊してみたいのです。

1995.1.3 中華人民共和国 “承徳鉄鋼公司専用鉄道” まさかのV氏&G氏と遭遇!!

中国
1995.1.3 中華人民共和国 “承徳鉄鋼公司専用鉄道” まさかのV氏&G氏と遭遇!!
上游・建設型の三台運転で有名な承徳嶺です。
30‰の上り勾配があるため、わずか10数輌の石炭を承徳鉄鋼公司に運ぶために三台の蒸機が必要でした。
DL化終了後の現在は、この非効率な専用鉄道は廃止され緩勾配の新線に切り替わりました。
北京市の煤煙の公害問題は、この承徳鉄鋼公司が元凶となっています。

中国
この記念写真は“ツアーの団体記念写真”ではありません。
“承徳鉄鋼公司専用鉄道”を俯瞰する撮影地にて。

車を降りてからどれだけ歩いたでしょうか?
初めての撮影地なので道がわかりませんでした。
大まかな地図を見ながら一人で獣道を進み、それらしい稜線を歩いて行くと突然展望が開けました。
そこには俯瞰大好き鉄ちゃん好みの撮影地が展開されていました。

そして先客の鉄ちゃんたちが・・・。外人が4名と日本人が4名。僕を入れて総勢9名になりました。
とりあえず挨拶に顔を出しました。
3名の日本人は驚くことに友人でした。H氏・K氏・DT200A氏もビックリです。

厳冬の中国蒸機を撮影に来る外人鉄ちゃんは、それなりの覚悟できているはずです。
カメラ装備から見ても有名人に違いありません。通訳も同行していないことから中国慣れしているようです。

そして2名は、外国の鉄道趣味誌でどことなく見たことがある御仁でしたので声をかけてみました。

驚きました。Victor Hand 氏(米国在住) と Greg Triplett 氏(豪州在住)でした。
蒸機趣味の世界は広いようで狭いと感じた瞬間でした。

Greg Triplett 氏は親日家としても有名で、彼が若い頃には「C62重連・急行ニセコ」や「布原D51三重連」
などを撮影に何回も訪日しています。

Greg Triplett 氏とのお話は、長くなりますのでまたの機会にします。

中国
Victor Hand 氏 は SPEED GRAPHIC (米国製・4×5 in カメラ )を二台も操ります。
 
4×5 in を三脚に一台固定し、サブカメラも4×5 inです。
こんな妥協を許さない鉄ちゃんは、世界でVictor Hand 氏ただ一人でしょう!!

そういえば、僕の蒸機撮影の心の師匠である「あまらぼ鍋屋町」氏も4×5 in を操ります。
正に“ワールドクラスの鉄ちゃん”です。

中国
Victor Hand 氏 「五大陸蒸機写真集」(2013)

中国
Victor Hand 氏 (2014)

Hand was a pioneer in the search for foreign steam, which survived much longer in
China, Africa, South America, Asia, and the Soviet Union and its eastern European
satellites than in the U.S., Canada, and Mexico.
プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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