2017.6.27  今宵は、高円寺・一期一会で核爆ミーティング

鉄

鉄

鉄

鉄

鉄
2017.6.27  今宵は、高円寺・一期一会で核爆ミーティング

奇妙な異業界人の呑み会です。勉強に有馬温泉。駄菓子菓子核爆爆飲てなもんです。ハイ?

それでは、イヌゲージ鉄犬様のパクリやで!!

いやーたのしいですねー、浅ハカ同士の内ゲバって(大糞核爆)!

鬼怒川へ遊びに行きませんか?

鬼怒川
鬼怒川へ遊びに行きませんか?

何度か鬼怒川へC11207を撮影に行きましたが、これといった景勝地がありません。でした?
裏を返せば、まだまだ撮影地開発の余地はあります。

俯瞰はダメ、架線柱の間隔が狭く撮影に苦労されると思います。
既に試運転でもHMが付いてしまっています。
しかし、肩の力をチョットだけ抜いて、奇妙奇天烈な蒸機編成を、皆で一緒に“鬼怒川”で撮影を楽しみましょう!!

機会を作って“鬼怒川呑み鉄”を決行したいなア!!
品川530博士様!!武蔵野獣医様!!エロゴンタ少女時代様!!そして、スターリン犬ゲージ様!!へ!!
昨晩は大変お世話に有馬温泉?浅ハカに?現場では桜田狙いのスナイパー?おやすみなさい・・・。






1974.8.19 ---17歳・夏物語--- 塩狩峠

北海道
1974.8.19 ---17歳・夏物語--- 塩狩峠
旭川行き322ㇾC5530牽引。
塩狩峠は塩狩駅(標高263m)を頂上として、和寒側が標準勾配20‰、蘭留側が標準勾配18.5‰でした。蒸機撮影の名所でもありました。

この頃、旭川機関区のパシフックの運用は、C5530・50・C5787の共通運用でした。
運用を良く調べないと、せっかくC55目的で宗谷本線にきて、C5787が来てガックリするはめになるのでした。

ご存知、塩狩峠はC55特有のスポーク動輪の分かり易いサイドがちの撮影ポイントは少ないのです。

四度目の渡道で旅慣れてはいるものの、やはり夜行と駅寝(寝袋持参)の連続で体力はかなり消耗しています。
塩狩峠を訪れたのが、東京を出発して7日目なので、まだまだ元気いっぱいです!!

今回の北海道旅行は17泊18日でした。毎度のことながら空腹と睡魔との戦いです。
勿論あちきの相棒は、毎度おなじみの山本シェフです。
今回の旅行では、今まであまり訪れなかった支線の9600を狙うつもりでいます。

8月の北海道は、暑くなく東京よりはしのぎやすく感じます。

もしかしたら、ほんの気まぐれで、つづくかもしれない・・・。

梅雨の谷間の晴れの日に・・・。

ボンネットバス
梅雨の谷間の晴れの日に・・・。

ボンネットバスの走行撮影は意外と難しいのです。
レールの上を走る鉄道と違って、ボンネットバスの場合は、走行ルートが複数存在します。
事前に事業所もしくは運転手から情報を仕入れて、車で先回りするわけです。
この日も走行ルートの把握と通過時間の予想に大変苦労した覚えがあります。

雨が降ったり、止んだりと天候は“猫の目のように”変化します。
二週間続けて“紫陽花+蒸機”を狙いに出掛けましたが、事は思うようには進みません。

七月に突入すれば、あちきの大好きな“夏祭”が始まります。
あと少しの辛抱です。

“SCOOP” & “Papafazzi”  を学び考察する・・・。 きっかけは福山雅治??!!

日々

日々
遅ればせながら、福山雅治の「S C O O P」を見た。
内容は主人公福山演じる中年“Papafazzi”のお話だった。
不肖・宮嶋氏の監修だけあって正直面白かったのだ。但し主人公は最後に死んでしまうが・・・。

日々
この手の作品は、お約束通り“ロバート・キャパ”の画像が現れる。
主人公・福山が何故、報道カメラマンになったのかと言えば、主人公が中学時代に学校図書館から“ロバート・キャパ”の写真集をパクり、崩れ落ちる兵士(1936年に写真家ロバート・キャパが撮影したとされる写真)を見たからだ、との解説。

そして主人公が大人になり、有能な報道カメラマンから、中年のゲスな“Papafazzi”になってしまう・・・。

日々
そもそも「S C O O P」とは何ぞやということだ。
ぶっちゃけ、お金になる写真のことだ!!すなわち、万人が興味があり見たい写真なのだ!!

例えば、不肖・宮嶋氏によって撮影された、車椅子に乗る麻原彰晃。が好例だ!!

週刊文春1996年4月25日号に、拘置所での麻原の姿が掲載された。
車椅子に乗せられ、移動している麻原の姿が撮っている。

タイトルは「拘置所の麻原被告はまるでエレファントマンだった」。

不肖・宮嶋氏から直接お話を聞く機会があったのだ。

「桜咲き、死してスクープ拾うものなし」 一見必殺・一撮千金 

なるほど・・・。

日々


日々

日々
それでは鉄道写真に「S C O O P」は存在するのか?

無いわけではないが、しかし、万人が興味があり見たい写真は存在しない!!と、思う・・・。
もしあるとすれば、天皇陛下がらみぐらいだろうか?

不肖・宮嶋氏の一見必殺・一撮千金の理論は、鉄道写真ではありえないのだ。

例えば、不肖・宮嶋氏の得意とする変装偽装工作をして、あちきが撮影してきた中国未開放地区(外国人立ち入り禁止区域)烏鞘嶺での写真は間違いなく「S C O O P」なのだが、微々たる金しか生み出さなかった。

なぜならば簡単なお話だ、あちきが、いくら金をかけて苦労しても、その写真が万人にとって興味が無いからだ。

己の写真の価値を高める努力はするべきであろう・・・。

1971.3.29 ---13歳・春物語--- 新津機関区にて

汽車物語
1971.3.29 ---13歳・春物語--- 新津機関区にて
左からC571[新]・D51331[新]・D51498[新]・D5175[新]

新津機関区には沢山の蒸機がたむろしていました。
但し残念なことに扇形庫に頭から突っ込んでいたのです。
その後に何度もお世話になる、C571[新]・D51498[新]が映り込んでいます。

それまで生きた蒸気機関車で撮影できたのは、八高線でのC58・D51だけでした。
この蒸機撮影行で、初めて9600・C11・C57を撮影することが出来て興奮したことを覚えています。
とりわけガキ鉄でもわかる、大正生まれの9600に感動したのです。

何故初めての泊りがけでの蒸機撮影行を、米坂線と羽越本線に選んだのか今でもどうしても思い出せないのです。
13歳のガキ鉄が、時刻表・ダイヤ・勾配・機関区を読み解き、夜行列車に乗り、宿に泊まり、飯を食い、知らない大人と話し、3泊4日の旅をするわけです。

この蒸機撮影行から、メモをすること、DJスタンプ押すこと、入場券を買うこと、駅弁の包装紙は持ち帰ることなどを、自分で勝手に決めました。

両親をどうやって説得し、資金はどこから出たのか、学校で学割をもらうのに先生に嘘をついて親戚に行くと言ったことなど・・・。
両親にも噓をついて、友人の家に外泊すると言ったことなど・・・。
どうせなら、北海道へ行けばよかったと、今でも真剣に思っています。

この蒸機撮影行こそが、僕の旅の、全ての始まりだったのかもしれません。

機会があれば、こんな旅の話を“宮澤孝一先生”と語り合ってみたいと思っています・・・。

雨の慕情  雨雨ふれふれもっとふれ・・・。

日々
雨の慕情  雨雨ふれふれもっとふれ・・・。

閑話休題。今日も恵みの雨が降っている・・・。
それでも夏、すぐそこまで来ています。

贖いの報酬は爆煙で・・・。捧げるが良い生き血を・・・。 

上越
贖いの報酬は爆煙で・・・。捧げるが良い生き血を・・・。
(あがないのほうしゅうはばくえん・・・。)(ささげるがよいいきちを・・・。)

何時からだろうか?何処までだろうか?生態系が変わっちまったな・・・。
貴方は最近、撮影地で野生のシカやイノシシを見たことはないだろうか・・・?。
奴らは、野生のシカやイノシシを繁殖媒体としている。そして山から里に拡散している。
春から秋まで生息し、特に気温が25℃以上の雨の日が動きが活発だと聞いている。

上越
贖いの報酬は爆煙で・・・。捧げるが良い生き血を・・・。

のんきな顔をしているが、足元の忌避剤散布までは地獄だった・・・。
生まれて初めて大量のヤマビルを見た日だった。

今まであまり良く知らなかった・・・。
雨の爆煙狙いでどれだけ入山してきたことだろう。
これからは忌避剤は、手放すことはできそうにない。

2011.6.19   “C6120” ハドソン礼讃  

上越
“C6120” 38年振りの感動の再会 

昭和48年の夏のお話だ。
当時高校一年生だったあちきは、朋友の山本シェフと九州へ蒸機撮影に出掛けたのだった。
九州で初めて撮影した形式にC50・D60とC61があった。

上越

上越

上越

上越
南九州の荒縄で磨かれた美しいC55やC57は勿論素晴らしく素敵だが、
当時のC61は地味なローカル列車や貨物列車の先頭に立っていたが、何故か印象的だった。

そんなC6120が、近場で動態保存されれば行くしかないでしょう!!

日々
当時のあちきの参考書。但し季刊の為、情報にやや問題あり。
 
日々
昭和48年夏に、山本シェフと出掛けた時に撮影したナンバーの読める写真の記録だ。

C55・52・57 
C57・9・89・112・113・124.・127・151・169・175・187・192・196・199
C61・18・19・20・28
15輌のパシフィクと、4輌のハドソンが撮影できた。

1997.8 蒼き地平線

ジンバブエ
1997.8 蒼き地平線

15Aガーラットの添乗をした時のことだ。
だいぶ西に傾き始めた太陽も相変わらず強い日差しを投げかけていた。
蒸機列車はひたすら西へ西へと疾走していたのだった。

蒸機のクルーは絵にかいたような、旧アパルトヘイト時代の名残なのか、機関士が白人で機関助士が黒人だったのだ。陽気な彼らたちと旅を続ける。

ジンバブエの8月は乾季で亜熱帯地方の割にはしのぎやすい。高原の為平均気温は15℃ぐらいだ。朝晩は冷え込むし白煙が期待出来る。日中も20℃以下が多い。

テンダーからキャブの屋根に上がってみた。線路はサバンナを一直線に水平線に向かいっている・・・。
心地よい風とブラストの二重奏(ガーラットは走り装置が二組あり、まるで重連もどき)を聞きながら、キャブの屋根に胡坐をかく。       至福の時間が流れていく・・・。

アフリカ訪問にはリスクが伴うが、運を天に任せるしかないのだ。
プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
カウンター
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -