Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第1日目 “最後の旅立ち”

鉄
Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ―“1975年冬・夕張線6788ㇾ回想録”

“プロローグ”
当時の僕は都立高校の三年生。
将来の夢も希望もなく、ただだらだらと時の流れに身を任せているだけの生活をおくっていたのだ。
但し“蒸機”撮影とアルバイトを除いては・・・。

親はバカ息子に対して撮影費用は一切与えず、撮影に行きたければ自分で稼ぎなさいという方針だった。
僕は汗水垂らしたりスリルを味わったりと、合法・〇合法の仕事で一生懸命働いた。
この時代、勉強はしないが社会勉強は誰よりもした。
この時の経験こそがその後の僕の人生に役に立つとは夢にも思わなかったのだ・・・。

「これが最後だからSL撮影に行っていい?受験勉強は高校三年になったらやるから」親子で交わされた
美辞麗句的な言葉は高校二年の夏には消滅した。
結論は他人様に迷惑を掛けなければ(他人にバレなければ)、親は見て見ないふりを貫いていた様に思う。
それでは何故“蒸機撮影”に夢中になってしまったの?

原因は・・・
①蒸機がカッコイイから。今撮らないと無くなるから。
②日本全国を旅したいから。
③蒸機趣味の友人が出来たから。
原因の根底には恐らく
(1)女子と会話したくて話題造りやみやげ持参による接近の準備の為(本音)。
(2)冒険をしたかった(見聞を広げる)!!
(3)蒸機を追い駆けた青春物語を過ごしたかっただから!!と言うのが本音だと思う。

いよいよ現役蒸機の終焉の日が迫って来た。
12月15日(月)の朝、自宅でコタツに入りながら見た朝のニュースを鮮明に覚えている。
それは前日の14日(日)に行われた室蘭本線のC57135牽引「さよなら運転」の模様だった。
遂に終わったか正直そう思ったのだ。

16日(日)の夜に後輩の橋本君から電話あり、「陽一さん、いまオレ夕張に来ている!!
雪もあるしD51もまだ走っている!!現地情報では、さよなら運転は24日(水)に決定、夕張で待ってるョ・・・」
北海道からの聞き取りにくい長距離電話に思わず興奮を覚えたのだ。
期末試験は17日(月)で終わる、終業式の24日(水)はシカトに決定。問題は金だ!!
15000円は必要なのだ(金の入手方法は長くなるので割愛する)。道南周遊券と特急券を購入すると
既に手元には7400円だけだが、とにかくなにがなんでも夕張へ行くのだ!!

ではまず第一日目、40年前の“今日”12月21日(日)に時計の針を戻してみる事にしよう。

1975年12月21日(日)晴れ
Episode O ―終わりの始まり・40年前の今日へ― 第1日目 “最後の旅立ち”
拝島13:40→青梅・中央・山手線→上野15:30、上野16:00→1M特急「はつかり5号」→青森0:15、青森
0:35→1便「松前丸」→函館4:25、函館4:45→1D特急「おおぞら1号」→苫小牧7:57(1M→1便→1Dの
ゴールデンリレーで苫小牧入り)。長万部・鷲別で目にした蒸機は雪をかぶった廃車体ばかりなのだ!!

僕は残念ながらC62重連「ニセコ」を見たことが無い。
※1972年8月の小樽~岩見沢間で走ったC62重連の記念運転は撮影出来たが?「ニセコ」を知らない
のだ。初めての渡道は1972年8月でC62重連「ニセコ」がDD51重連になった翌年だ。
それでも何とかこれで8回目の渡道を迎えたのだ。
装備はミノルタ2台とヤシカフレックス1台(TX+コダカラ―を詰め)、スリックの三脚、カセットデンスケと
僅かな食料と衣類を背負子に括り付けて一人で出発だ。

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プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。
(社)日本写真家協会会員  (JPS)

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