地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 4話 “小川駅ローズピンクのE51の思い出” 1970年1月1日

西武
1970年1月1日 小川駅。木製のホームに待合室にベンチが時代を感じさせます。
正月でも貨物列車が運転されていました。
積荷は隣接するブリヂストン東京工場からの出荷でしょうか。

西武
1970年1月1日 貨物列車には西武のワフ8が連結されています。

地方私鉄行脚(あんぎゃ)の記録 4話 “小川駅ローズピンクのE51の思い出” 1970年1月1日

西武鉄道に頻繁に貨物列車が走っていた時代のお話しです。

自宅からそう離れていない小川のお話しなので、行脚とは大げさな話かもしれません。
僕は小学6年から高校1年までの年末は、東村山にあった親戚の“蕎麦屋”でアルバイトをしていました。
決して大きくない店舗でしたが、近隣にライバル店が無く年末は年越しそばで、ネコの手も借りたいほどの
忙しさでした。

学校の冬休みは12月26日から1月7日までの13日間でした。

12月26日の朝から、年越しそばの終わる12月31日の深夜まで6日間働き1月1日の午前中に帰宅しました。
蕎麦屋の仕事内容は、ハシの袋詰め、食器洗い、薬味のネギの機械によるスライス、食材のカット、出前
の手伝い、店の掃除、子供の世話と多岐にわたりました。慣れてくると厨房で簡単な料理を作りお客様に
提供していました。小中学生の社会勉強として頑張りました。

報酬は、お年玉込みでなんと1万円+αの破格の待遇でした。まるでインドの子供の様に働きました。

短期バイトが終わると、その足で親戚の本家へ挨拶に伺いお年玉の回収に行くのが常でした。

帰宅するには必ず小川を経由しますので、まずは新年の撮り初めは西武の電機からでした。
中学2年の冬からは、帰宅後の1月1日の夜から短い期間ですが一人で東北へ蒸機を撮影に出掛けました。

※国鉄時代vol.45の付録DVDに西武鉄道E51形の映像が含まれていました。

3/26(土)昨日も千代田区・中央区・大田区・中野区へと所用で出かけました。
中央線の車内で偶然にも廣田先生と出会いました。
確か傘寿のお祝いを過ぎているのにお若いこと、これから東京駅にダイヤ改正の取材だそうです。
そのとき僕の頭の中に“生涯現役”とは廣田先生の為の言葉だなぁ~っ。と、思いました。
廣田先生は、僕ら“おじさん鉄”の“指針”として間違いないと思います。

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プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。

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