1984年夏~1986年秋 山陰本線 『潮騒の険路』と『オハニ36の記憶』 

山陰
1984年夏~1986年秋 山陰本線 『潮騒の険路』と『オハニ36の記憶』

当時は、山口線のC57の撮影に夢中の時期が確かにありました。
C57のいでたちは、ご存じ奇妙な集煙装置に黄色いHMに牽引する客車はブルーの12系でした。
“貴婦人”なんて言葉すら不一致でした。
俯瞰での撮影では何とかごまかせますが、正面がちのアップには耐え難い大問題でした。

そんな夏のある日の事でした。
たまには益田から山陰本線の旧客鈍行に揺られて帰京してみたいと思いました。

勿論、進行方向左側の席を選びます。理由は海側だからです。
車窓からは時折、漁村やコバルトブルーの海が見渡せます。
ワンボック席に足を投げ出し、窓をいっぱいに開けながら列車はガタンゴトンと走ります。
今では考えにくい解放感です。

海・山・トンネル・鉄橋・DD51・旧型客車・58系気動車・181系特急気動車・ブルートレインに木造駅舎と
最後の“国鉄時代”を象徴する車両たちが全て揃っていました。
無いのは“蒸気機関車と腕木信号機とタブレット”ぐらいでしょうか。
行商列車や通学の女子高生も旅人も全てが素晴らしい被写体でした。

山口線のC57は後回しにして“国鉄時代・山陰本線”を集中して撮影することに決めました。
それは1984年夏~1986年秋まで約2年強の間に徹底的に通いました。

国鉄が分割民営化になる半年前の事でした。
旧型客車が廃止され、50系客車への置き換えが始まり“山陰熱”が急激に冷めてしまいました。

山陰
このおやじこそ行商列車を仕切っていた“魚万”こと“前川萬次”氏でした。

通称“萬さん”です。このおやじとの交流があったからこそ山陰本線に通ったのだと思います。
おやじの手には“オハ二36”の荷物室の鍵が国鉄から預けられていました。

山陰

もしも貴方がこの話に興味を持たれましたら『国鉄時代Vol.22』のP135-144をご覧ください。
『行商列車542ㇾの記憶』として僕が記事を書いています。

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プロフィール

高野 陽一

Author:高野 陽一
あなたは鉄道に感動したことがありますか?
いつの時代の、どこの国の、どんな線区の、どんな車輌や情景でもかまいません。
答えは明白です。それはあなたがカメラという映像媒体を通じて、あなたの魂(SOUL)が何かを感じ、あなたの魂(SOUL)をゆさぶった事にほかなりません。だから、あなたも僕も鉄道を今も撮影し続けているのです。

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